【序章】
前にもどこかで言った記憶がある。
それが今年はどうした事か!真夏に10日間も休みが取れちゃったよ。
こういう時はどうすればいいんだ?・・・・家族サービスか?・・・・って家庭を振り返ってビックリ!
さ〜て、何処行っちゃおうかなぁ〜♪
丁度、十数回目の読み返しをしている最中の本を伏せて考えながら、をっ!と気づく。 そうだ!京都に行こう!(ミュージック・スタート♪)
やっぱ遠方でしかも一人で宿泊するなら伏見寺田屋でしょう!
で、ホテルを探す。
しかしJTBとかいろいろググッて見てみたけど何処も異常に高いのよ。宿泊が。
マップ・ファンを弄りながら早くも意気消沈状態で関東近場の地形なんぞを眺めていたのね。しかしそれもすぐに飽きちゃって。
あれ?ライダーズインって聞いた事あるな?
あっ!そうか!
早速「ライダーズイン」でググッてみる。出た!これだ!
それにしてもあと二週間後なんだけど、予約出来るのかな?・・・もちろん平日だけど・・・オンシーズンだし・・・。
にわかに現実味を帯びてきたので、更に慌てて計画を始める。考える事3分。
一泊目:四国上陸後そのまま南下して室戸へ。=「ライダーズイン室戸」
だな。これに日程を入れてみよう。先ず往復の経路を考えてみる。
えっと、2万6千円と11時間を使ったら、財布もそうだが、その前に体力ゼロじゃね?・・・・って感じか・・・・?
長距離フェリーがあったハズだが、高速でさえこの金額だもの。期待できねぇ〜なぁ〜・・・。 え〜?フェリーの方が3千円も安いじゃん!・・・ってか、同額だったらフェリーの方が100倍楽ジャン!!
ってな訳で長距離フェリー決定!
で、運航表を眺めていると、2等と2等寝台はそもそも船が違うらしい。 7月の連休明けの肝心の22日は何故か係留中だよ・・・なんだ・・・じゃ23日出発にしよう。
---------------------------------------------------
と、ここまで決まった段階で、宿とフェリーの予約開始。
さて、この拠点をベースに各拠点間を埋めていくか!
さ〜て、それじゃ各ポイントを地図上に落とし込んでみるか。(マップ・ファン&フォトショップ大活躍!) ・・・・・(数日没頭後)・・・・・
あれ?こうしてみると、殆どが高知県だな。しかもその半分以上が中心街に集約される。 さて、高知県に散らばったライダーズインをベースに「ルート枠=1日で周れる範囲」を設定してみる。
---------------------------------------------------
よし。これをベースに距離と要する時間を埋めていこう。
・・・・なんだこりゃ???・・・・・もしかして・・・・四国って・・・・広い???
だめだ・・・やり直し!
と探したのが、瀬戸大橋の入り口である香川県坂出市の「坂出グランドホテル」
---------------------------------------------------
これでどうだ!
あれぇ〜っ?だめだ・・・・余り変わらない・・・・何が原因なんだろう・・・・って結論は簡単だった。
ここでようやく現実的な高知県一周に切り替える。(←すぐにこれも無謀だと知る事になる)
昨日予約した「坂出グランドホテル」を早々にキャンセルし、翌日の市街歴訪に合わせて、高知市内のホテルを探す。
---------------------------------------------------
今度こそ!これでどうだ! なんかクラクラしてきたゼイ・・・・・高知県だけなのに広っ!・・・・・でも、もうこれ以上縮めようがないな。
全部で6泊7日間の行程とはいえ、船中2泊+高知市街だけで1日使ってしまうので、結局は3泊で周る事と同じになる。 それじゃこれに、先に選定した歴訪ポイントを入れてみるか。
24日(木):室戸周辺を歴訪
ん〜、いいかも。
当然、抜け漏れはあるだろうし、実際には省略する場面もあるだろうから、こんなんで留めとくか。
こうして見ると、やっぱり四国はおろか高知県一周すら出来ていない事がよく判るね!
ここまでの机上のスケジューリングだけで一週間掛かったよ。(能力ねぇ〜な〜!)
【2008年7月23日(水) 1日目】
10時
15時
走り始めて5秒でメッシュ・ジャケットの有り難さが判りました。
東京港フェリーターミナル到着。 【公式HP】【場所】 今日乗船する「おーしゃん さうす」だ。 全く乗り方が判らないので、近くにいたヘルメット被って走り回っている係りの人に聞いてみた。
「バイクは行き先に関係なくBに並んでください。バイクを置いたらあの建物の2階で受付して下さい。受付は17時からです」
当然1番だな。バイク誰も居ないし。 当然まだ閉まっていてひっそりとしていた。 しかし17時の受付と同時にバイク8台が到着。 後ろに並んだGSX1400のおじさんは北九州に行くのに積み込むだけだと言う。 なるほど。そういう手もあるのか。確かに九州までは船だと2泊3日の旅になってしまうので効率は悪いかもしれない。 体は飛行機で行けば往復で4日消費せずに済む訳だ。
まぁ、忙しいサラリーマンの発想だけどね。 飛行機もそうだけど乗船名簿って、気分的に良し悪しよね。
確かに沈没して行方不明になったら名簿だけが頼りかもしれないけど、はなっから不安を煽られる訳で。
でも家族の為を思えば仕方が無いか・・・・。 なんか船の大きさと積載する車輌数が全然違うぞ! と思ったら、大半は大型トレーラーなのだそうだ。 しかも人間は現地の担当者が行う様で積み込みだけ。 少しでも経費を浮かせる株式会社の知恵ですな。
18時
部屋が214だったら当然2階だと思うじゃん。
HPの写真では4人部屋かと思ったのだが、なんと12人部屋。 荷物を置いて甲板に出る。
船なんて何十年ぶりだろう?
甲板を歩くと機械油の臭いがする。
広い後部甲板に緊急集合場所と書かれている。
19時
羽田の飛行機がデカイ。 船室内はとても綺麗。 簡素ではあるものの必要十分って感じ。
空調もちょうど良くて 良く見ると、椅子をはじめとする備え付け品は全て鎖で繋がれている。
確かに緊急時にはこれらが凶器になるかもしれないわけか。 出航後はもう船任せ。 どんな時間の使い方をしようが18時間は出れらないのだからのんびりしましょう!
レトルトで夕食後、風呂へ。
なんだこの札は!(→) いちさん倶楽部へメールするとそのままウトウト。
23時に目が覚めてから 明日は何時に起きても関係無いし・・・・。
おやすみさない・・・。
朝食。 あたしってば、美食ではなく多食(!?)なので、食べられればなんでもいいの。
ベタ凪の静かで美しい朝です。
8時50分 「右手に本州最南端の岬、潮岬が見えて参りました。どうぞご覧下さい」
なるほど。
ところで誰か知っていたら教えて!
体長50cm〜1mくらいの魚で、全体がグリーンでひれが黄色で尾っぽがブルーの魚!
写真に収めようとカメラを構えていたんだけどダメでした。
それからここでシュモクザメも目撃! 徳島港着岸。【HP】【場所】
狭い場所にキッチリ留めるね。しかし。 甲板から狭い階段を降りてバイクに向かう。
前の人が「怖いですね」と急な階段を降りながら苦笑いする。
バイクに戻るとしっかりラッシング(固定)されていた。 13時半 下船して荷物を固定し直したら、ライダー達に別れを告げて、さぁ、旅の始まりだ!
ここは四国だ!今、四国を走っているんだ!・・・・・の感動が嬉しい!楽しい!
港から阿南海岸に沿ってR55を南下する。
しかし海が綺麗だ。透き通っている。
しかし何で誰も遊んでないんだろう。夏休みなのに。
信号が無い。というか、あるんだけど、全部黄色の点滅だ。
しかもこれが37km続く。
早く抜けないと寂しすぎるよ・・・・この道。 37kmの酷道を1時間で抜けると突然開けた。
15時半
最初の歴訪ポイントなのにゼイゼイしてるよ。
拝観料500円に、 そもそも中岡慎太郎は自分にとっては、坂本龍馬と同等に気になる人物なのね。 最終的には薩長土の同盟を唱えた日本でただ二人の人間の内の一人な訳だが、そこに至るまでの愚直さが龍馬とは対照的なのが面白い。
注)ここに記する人物像はあくまでもアタシの主観であり、現実或いは見識に則った評論では無い事を明記する。 そこから10m下った処に生家がある。 急な坂を下る山村にありがちな建て位置だ。
40年近く前に住んでいた新潟の田舎を思い出す。
玉砂利が当時からあったのか?は不明だが、 門先を壁で隔てている。 さすがに門番は居なかったろうけどね。 館に戻って肖像写真。
いつも思うのだが、この笑顔写真と銅像やパンフ等にある厳しい顔とが結びつかないのよね。
16時半
土佐湾に向けてR493を走る。 R55に入って土佐湾を海岸沿いに30km南下すると、次の目的地の室戸岬に到着。 もちろん目的は室戸岬ではなくその先端に居る中岡慎太郎像。【場所】
・・・そんなこた〜ないか。有名な岬だし。
途中で1回目の給油。 岬の先端は誠に判り易く、距離にして100m程度。 R55がほぼ90度に曲がり100m程の直線でまた90度程曲がって反対側へ。
そのほぼ中央山側にデンと居た。 何高い処に鎮座してやんでぃ! 後ろから覗いてやる!(^_^; R55を渡った岬の突端まで行ってみる。
オーストラリアはすぐそこだ!? 岬の突端から振り返って見た処。
左下の中岡慎太郎像の上に室戸灯台が見える。 ところで岬に到着する数百m手前で「ライダーズイン室戸↑」と書かれた看板があった。
どうやら北側から登るルートの他に南側から登るルートがあった様だ。
一気に登った頂上に展望台と書かれた駐車場の様なスペースがあった。 すると一人が近寄ってきて「こんにちは!」と妙にニコニコしている。
「こんにちは。皆さん仲間でツーリングですか?」 何と!船の向かいのベッドで「大部屋だね!」と最初に会話した彼だったのだ。
しかしパッと見てよく覚えているなぁ・・・・。 一緒に室戸岬山頂展望台に登って記念撮影。
夕日が眩しいくらいに美しい! さて、彼はこれから灯台を見に行くとの事だったので(興味は無かったが)付き合ってみる。 すこし下ってバイクを止め、歩くこと10分で灯台に到着。 スゲ〜!でっけぇ〜!?・・・・あれぇ〜?
灯台の頭は確かにデカい! 頭しかないじゃん!この灯台!
柵の下を覗いて驚いた。
久しぶりに笑ったよ。 岬から見えた灯台は頭だけしか見えなかったし、第一、あんな高い所に有るんだから、さぞかし、そびえ立つ立派な灯台だろう!・・・・・って思うじゃない!普通!
いや、設計した人から言わせると「何でそう思う必要があるんだ」って怒るかもしれないけど、人間なんてそんなものさ〜ね! この丘の上にはコンビニは無いとの事なので、そのまま下ってコンビニを探す。
北側ルート近くまで来た時に「酒・たばこ」の看板見っけ! 18時半 今回の一泊目にして初めて泊まるライダーズインに到着。【HP】【場所】
なるほど!写真で見た通りの棟が並んでいる。 さっそく水道で水洗い開始。 こりゃ便利だよ。
この駐輪の方法は他の宿泊施設を寄せ付けない堅牢さがあるね。 部屋の様子。 ドアを開けると6畳弱の部屋。 シャワー・トイレに感動していると、なんと!クーラーがある。完璧だな。 照明が若干寂しいが、まぁ、良しとしよう。
出来ればコンセントがあと2つ欲しい。携帯充電とカメラ電池充電とナビ充電だ。いづれもこの旅には必要なものばかりだ! 洗車後に着替えて夕食に移る。 風が気持ちいい!
あっという間に日が沈む。
明日は早いぞ!
5時
出発。 北側ルートを降りて、R55に乗る。 そのままR55を太平洋海岸沿いに40km移動。
しかし対向2車線(片側1車線)って〜のも考えものだな。
ただ昨日同様に信号は黄色の点滅が多いから市街地以外は信号が無いのと同じだ。
6時半 これまたデカ! 岩崎弥太郎に関しては、個人的には若かりし日の顔を知りたいと思っている。 三菱財閥の創業者の顔ではなく、やはり龍馬を苦手としていた下横目時代の顔を知りたい。
だってこの年齢じゃ、怒りに任せて江戸〜土佐間を16日で走り抜けた人間とはどうしても想像できないもの・・・。 ここから北へ3kmの処に生家がある。 【場所】
非常に細い道でyahooやmapionなどの地図には載っていない農道を行く。 当然車で行くのはかなりしんどいのでバイクか自転車がお勧め。 尤も近くまで行けば「あっち」「こっち」と小さいながらも看板が出ているので確認しよう。 生家は現在は人が住んでいなくて、観光の為に出入り自由となっている。
しかしご近所は普通の生活をしている訳で、当然の配慮が必要だ。 たまたま隣人のおばあさんと会って挨拶したが、バイクの排気音など耳障りなだけで不快に違いない。 エンジンを切ると、無数のセミの声が広がり、すぐに田舎の農村の風情を醸し出す。 少なくとも休日の度に騒音をたてられては迷惑な話だと勝手ながらも思ってしまう。
早々に引き上げる事にした。 7時 再びR55に戻ってさらに西に12km。 芸西村の「土佐くろしお鉄道阿佐線 和食駅」近くに「お龍君枝(ならさきりょう、ならさききみえ)姉妹像」がある。 【場所】
何故、琴ヶ浜に像があるのか? 芸西村とお龍の関係が判らない・・・・・。 また、お龍が手を振る先は、桂浜に居る龍馬だと言われてもいるが、この真否も判らない。
作った人に聞くのが一番手っ取り早いんだろうけど、あたしゃジャーナリストじゃないんで、そこまではやらん! ところで、ここにたどり着くには、東から入ろうとすると大変な事になるので注意が必要。 車では無理。 自転車専用道路と書かれた道をバイクで(!)やっとの道である。
但し、西から入れば車でも可能。
←朝の日差しが強すぎて露出が定まらない図。 「お龍君枝姉妹像」からさらに西へ14kmの処に「新宮馬之助(しんぐううまのすけ)生誕地」がある・・・・・ハズだったのだが、最初のトライでは辿り着けなかった。
原因の一つには、いろいろなHPに掲載されていた位置が余りにもいい加減であった事。
しかし現場近くでどうしても判らず、県庁の観光課に聞いてみるものの知らなそう。
私「あの〜、新宮馬之助の生誕地碑が見つからないんです」
結構腹が立っていた。これが主因だ。結局こんな事で30分近く使ってしまった!
8時 龍馬歴史館に到着。 【公式HP】【場所】
あれ?閉まってる!開館は・・・・っと9時かよ!
1150円って高っ! 係りの人は史跡を良く知っているらしく、「それは申し訳けない事をしました。観光で暮らしている人間としてお詫びします。それでは戻られるまでに地図を用意しておきますから、また寄って頂けますか」との事。
この親切な対応でだいぶ怒りが和らぎつつ早速中に入ってみる。 ここは撮影が可能であった為、多くの写真が撮れた。
先ほど、1150円高っ!
先ほどの親切な対応の影響もあるが、 HPでは「たかが蝋人形で千円取るか!」といった評価もあるようだが、私は全くそうは思わない。
先ず、龍馬幼少期より年代毎に見られるので、 やはり視覚に訴えるインパクトは大きいのだ。
そもそも小説や歴史書を読む事で、
そのイメージは自分だけのものであり、
しかし史実と物語りの唯一の違いは、
尤も、曲げて自分に取り込む必要も その代表格は何といっても人物像であろう。
生い立ち・性格・度量といった、 例えば、さな子(ちばさなこ)やお龍といった女性像にしても、いくら文章で”美しい”、”誰もが振り返る”、或いは”お仁王様”などと書かれても容易に顔の輪郭を想像できるものではない。 また時代背景上、写真が庶民にまで浸透している訳ではないのだから、往々にして身分・知名度の高い順にしかも晩年の肖像しか存在しない訳だ。 これを容易に再現できる手法が蝋人形である訳で、「100回読むなら1回経験しろ」の意味で視覚の勝利と言える。
尤も、それでは、ここにある内容が、史実に基づいて正確無比なのか? だったら、少なくとも自分より知識があってその分野で研究を進めている人々が想定した像を素直に受け止めた方が、ろくに研究もしないで尚且つ知りたいと願う人間にとっては、よほど早く次へ進めるというものである。 例えば、お栄(さかもとえい)の自害は、昭和後期になって発見された墓から、龍馬脱藩の十数年前ではないか?と言われ始めているし、そもそも病死ではないのか?とも言われている。 しかしそこを我々素人が何の努力もせずに真面目ぶって論議しても空論であると思っている。
その時の人間が作り上げた史実などは何時かは変わるものだ。
この館の人間は、どうも司馬遼太郎のファンらしいぞ!
そりゃ見やすい訳だ! (こればっかりはどうも信用ならんのよね・・・出来すぎでしょ・・・・^_^)
ってか、二人の視線が合ってないのが気になって気になって・・・・。
受付に戻るとさっきの係りの方が、新宮馬之助生誕地碑の場所をコピーした地図を渡してくれた。 改めて地図を見ると、何と!さっき諦めた場所から数十メートル先にあるではないか! つくづく腹の立つ役所である。
9時5分 新宮公民館の前に結構堂々と建っていた。
しかし、もう2度と迷わない位に地理が頭の中に入ってしまったぞ! さて、さらに西へ20km。 もう高知市街まで2kmの地点で、高知自動車道 高知IC入り口近くに「板垣退助(いたがきたいすけ)の墓」がある。
9時半
R32から県44を北上してきた場合は簡単。
しかし反対から来る場合は問題あり。
え〜!この階段上がるのぉ〜・・・・。 しかし階段を登りきるとすぐに墓があった。 いかにも新しいこの墓石は昭和43年に”板垣会”なる組織が建てたと裏に記載されていた。
おそらく本物の墓は東京の北品川にある立派なやつの方だろうから、これは記念碑というべきか? 実は道を間違えてバイクしか通れない反対側から来てしまったのよ。
坂の上に駄菓子屋さんがあったので道を聞くと、この上だと、おばあちゃんが教えてくれた。
故郷なんて考えたこともないし、大体そんなもの無いけど、(距離的に)果ての地まで来て、同郷の人と会うと、やっぱり嬉しいもんなんだね。
バイクを駐輪させてくれた上に商品のアイスをくれたのね。 10時半 次はそこから数分の距離にある「岡田似蔵の墓」だ。 事前に下調べしておいた通り、ヤマダ電機の駐車場まではすぐに来られた。
しかしここからが大変だった。 何度も往復しながら、やっとの事で人一人が通れる通路を発見! 【通路の場所】
ここを通って突き当たりを左。
とにかく周りは墓だらけなので、あせらずじっくりと探そう。
余りの暑さに気を失いそうなったので、ヤマダ電機で涼む。ありがとうです!今度地元のヤマダ電機で買い物するからさ! さて、ここから南東に10km程戻った処に「武市半平太(たけちはんぺいた)の旧宅」がある。 市街の脇を抜けて鏡川沿いに東に進む。
11時半 おおっ!これこれ! よく目にするカットだ。
鳥追いの炸裂音が半端じゃない音量で響く。 ここは現在も居住者がおれらるので、勝手に覗き込んだりしちゃいけません!
どうしても入りたい場合は、普通にお宅を訪問する手順で伺う事!(常識だね!) さぁ、ここから7km程西南に向かえば、今回の最大のポイント!桂浜だ!
ありゃ?
ここでは数時間居る事を想定しているので、とりあえず荷物を置くために記念館に向かう。 記念館とホテルが隣接している。 とりあえずホテルのレストランに向かう。 「荷物が置けるならここで食事します!」と相手にとっては痛くも痒くもない条件を出してみる。
「フロントでお預かりしますよ!」とあっさり商談成立!? この旅で初めてまともなご飯にありつく。 やっぱ”かつおのタタキご膳”でしょ!
旨いわぁ〜!
高知の観光の目玉なんだもの。
余り見るものが無いんですよ。 確かに歴史的重要文化財としての手紙等は見ごたえがあったのね。
特に乙女(さかもととめ)に宛てた内容は興味を惹かれたな。
でもそれだけなの?
これなら先に行った「龍馬歴史館」の方がよっぽど面白かったぞ! 建物は格好いいのだが・・・・。 桂浜に通じる遊歩道を歩く事10分。
その高低差と階段に腿と膝が悲鳴を上げる。 ついに登場! 龍馬像です。 これを見たかったのよ!
ってデカイよ!
像は浜辺にあるものだと思っていたのだが、
もうこれ以上後ろに下がれないのよ!
なんか石があったので撮ってみる@ なんか石があったので撮ってみるA バイクまで遊歩道を悲鳴を上げながら歩く。 意に反して記念館があっさりと終わってしまったので、
14時 次は27km西にある「武市半平太像」に向かう。 県14を海岸沿いに16km走る。
宇佐町で県47に入って宇佐大橋を渡ると、ステキなワインディングが11km続く。
おっと!いけない!
でもたまに現れる前の車がすぐに避けてくれるので、つい加速してしまう。 でもこのワインディングはお勧めです!
14時半 東から来た場合、緑に覆われた山と草原のワインディングロードを走る中で、右手に何やら建物が見えてくる。
その敷地にはゲートがあるのだが、寂れている感じ。
どうやらこの建物はドライブインかレストハウスだったようだ。
だからここを目指すには像を探すより、草原の中に建物を見つける探し方の方がいいだろう。 像の後ろに周って気づいたが、土佐勤王党の血盟者一覧が石造で彫られて置かれていた。
署名盟約順として武市半平太が最初、坂本龍馬は9番目、中岡慎太郎は17番目であった。 さて、ここから西南へおよそ40km先にある今日の宿泊地、ライダーズイン中土佐に向けて出発。
走り始めてすぐ。 こんな色をした海が普通にあるんだ・・・・。
エメラルド・グリーンというのか?
県23にぶつかるまで県47をそのまま走り、県23を左折。
中土佐町に入る直前の県41と合流する地点にコンビニがある。 まだライダーズインまでは12kmあるが、実質ここが最後の補給基地と考えていい。 さらにその先の信号にある左手の2つの大型スタンドが最後の給油基地と考えていいだろう。
要は県25に入ってしまうと、店(駄菓子屋さんっぽい小さな店が1軒)やスタンド(上ノ加江トンネルを抜けたT時を県25と反対の方向に300m程海に向かった処に小さな2軒)が閉まっていた場合、ここまで戻る必要があるからだ。
県25に入ってそのまま11km直進。
「本当かぁ〜!?」って進むこと500m。
ここも農道自体がyahooやmapionなどの地図には載っていないので、ナビで近くまできたら看板を見落とさない事だ。 16時半 ライダーズイン中土佐到着。 県の事業なんで、おそらくどのライダーズインも設備や料金は同じなんだな。ビールも売ってたし。
早速バイクの洗車をする。
と・こ・ろ・が!
折角いちさん倶楽部のMLに文章を作ったのに、もったいないから1km四方を歩いてみる。 海岸に出て浜辺に座りビールを飲みながらボケ〜ッとしていると、同じライダーズインに泊まっている若者が近づいてきて挨拶と共にそのまま海へ。
何で海パンとシュノーケル持ってるんだ?って聞くと、昨年も来て、ここのプライベートビーチ(?)が気に入ったのだそうだ。(実質湾の周りには人影も無くどう見てもライダーズイン専用ビーチとも捉えられるぞ!) プカプカと浮いては潜っている若者を見ているうちに”気持ちよさそ〜”って思ってきちゃったよ。(危険な予感!)
しばらくしてその若者の連れもやって来て普通のパンツとTシャツで海に入っていった。
もうだめだ!どうせこの暑さでパンツはぐっしょりの状態。
酔っている事を十分に認識しながらプカリと浮いてみる。
泳ぐと明日動けなくなるかも?
若者は魚を追いかけて夢中の様だが、こちらは30分も浮いていると、それだけで疲れてくる。
「またお会いしましょう!」と海の中から手を振っている。 明日は足摺岬にある中浜万次郎(なかはままんじろう)像を巡る300km走行を予定している。 念のためにナビを確認。 しかしここでナビがとんでもない事を言い始めた。
ここから足摺岬まで3時間掛かるというのだ!
改めて調べてみるが、mapfanで想定した時間との差が大きすぎる。
そう言えば、ヤマダ電機で知り合ったおにいさんも、
改めて明日の全ルートをナビで模擬してみる。
これもウソっぽい。
「山の中は道の悪い峠ばっかりですよ!」とも言っていたな。 まして、それが時間に追われ、尚且つ夕暮れになったとしたら・・・・・。 やめた!
足摺岬は断念しよう。悔しいがジョン万は諦めて、時間に余裕を持たせ、気持ち良く生還する事を第一に考えよう。
23時
6時半
7時半
梼原町にある「維新の門」まで60kmの行程。
大野見町まで12km走り、県19に入る。 ここから県19に入る訳だが、入った途端、や〜な感じがした。
そう言えば、高知県に入ってやたら軽自動車が多い事に気が付いていたのよ。
県19を走って、やっと判ったよ・・・・。
そんな道が15kmも続くのだが、それが普通に生活道路って訳だから、もしここに住んでいたら絶対軽を買うよ。
T字のR197を左折する。R197に入ってビックリ!
しばらく気が付かなかったのだが、事前の調べでは、地図上でこのR197は絶対に”酷道”だと思っていたのよ。
維新の門まであと10km近くとなった地点で「吉村寅太郎(よしむらとらたろう)像」の看板見っけ! 思わず停車して思案。
どうせ帰りにまたこの道を通るとは思うのだが、見つけてしまったものを見過ごす必要もあるまい。
8時半
あれ?
これは後で調べて判ったのだが、本当は「虎太郎」なのだが、一般的に使われているのは「寅太郎」らしい。
また階段かよ・・・・もうかんべんしてよ・・・・・。 だからデカい!っつーの! どうしてここの県民はこうデカいのが好きかね・・・・。
ファインダーに収まりきれずに、頭がちょん切れちゃったよ。 デカいし、高いし・・・・顔がよく見えないのがどの像にも共通してますな・・・・。 もう降りるのも面倒になってきたし・・・・。
セットである生誕地まではここから数分なハズだ。 R439を右折して数分で「吉村寅太郎宅跡」到着。 【場所】
この左手を登ると邸宅跡になる。 さすがに村庄屋だけの面構えである。 しかしここから天誅組の創設者が輩出されるとは誰も思わなかったであろう。 攘夷では一致するものの、龍馬とは全く別の思考回路を持ち、結局は過激分子として散っていった生涯は、正に当時の志士像そのものであったと考える。
最後まで藩に拘った武市半平太に学びながらも、
はいはい・・・また階段ですね・・・・・。 さて「維新の門」に向かいますか。 R197に戻って西に14km走る。 途中、太郎川公園にある「雲の上のホテル」に隣接する「ライダーズイン雲の上」を見てみたかったが、とりあえず通り過ぎる。
9時半 ホント!予想に反して綺麗な道沿いにあり、中学校のすぐ近くの小高い丘の上にお城(?)と一緒にあった。 これだけスケジュールを前倒しできているのも、峠を走る恐怖と迷う時間を取られなかった為であろう。
ちょっとゆっくりしていくか! 例によってバカデカい像が、しかも8体もあると、さすがに迫力ですなぁ・・・。 左から、 前田繁馬(まえだしげま) 那須信吾(なすしんご) 吉村寅太郎 中平龍之助(なかひらりゅうのすけ)
那須信吾は下記の那須俊平(なすしゅんぺい)の養子、つまり親子である。 掛橋和泉(かけはしいずみ)
掛橋和泉だけが何故中央に居るのか?
脱藩するにはある程度の金銭が必要であり、 結果的には脱藩者を救援する側になった訳で、正に勤王志士悲願達成の架け橋となった訳だ。
自害はさぞ無念であったろうし、
故に、脱藩者の大成を祈りつつ、
尤もこれは推測であり、それこそ「作った人に聞いてみよう!」が一番手っ取り早いのだが、あたしゃ、ジャーナリストじゃないってば!
左から、 沢村惣乃丞(さわむらそうのじょう) 坂本龍馬 那須俊平 那須俊平の何がすごいって、唯一50歳代だよ。 現代でさえ、50歳からの立身なんて考えただけで辛いのに、やるか?普通。 脱藩を説得して止めさせる年齢・立場だよね。
好きだけど・・・・そんなヤツ。 みんな何を思って、日々何を見つめているんだろうね。 維新の門の左手、丘を登ってきた側にお城がある・・・・いや、お城作りの建物がある。
その2階に喫茶店があるらしいので寄ってみる。 ちょうどお腹も空いていたので、モーニングを頼む。
「何にしますか?」 外に出られる様だったので覗いてみる。
こりゃ良く見えるわい。 なるほど。 こういう事だったのかぁ!・・・って全く解らん。どこが脱藩なのか? 多分おにぎりとお新香なのだろうけど。
さて、休憩もしたところで、高知市内に向かいますか!
10時半
ナビをセットすると・・・・
市街地まで約80km。
途中の山間部でパラッと雨が来たがすぐに止む。
R197を45km走るとR56にぶつかる。
高知市街に近づくと段々混んできた。この旅で初めての渋滞だ。 12時 「坂本家の墓」駐車場到着。 【駐車場場所】
車が2台止められる駐車場が有るには有る。
しかしここからが悪かった。
当然、柵を越え山を登って、右の墓群の中へ入っていく。
10分後、駐車場に戻ってあたりを見回す。
しかしここからがもっと悪かった。 この案内板には「坂本家の墓」との記載がないのだ。 要するに総括した全体を指しているのだろうけど、観光客からすればそんなものはどうでもよくて、坂本家が集合した墓の場所はどこだよ!が判らないのだ。 そして、自分の場合は最悪なのかもしれないけど、そこから300m程奥にある一番遠い「才谷屋歴代墓所」がそうだと思い込んでしまったのだ。
そりゃ行きますよ・・・・。
元の場所まで戻る。
先ほどの案内板をよ〜く見る。
とにかく一番高い場所まで上がってみて、とりあえず休憩しよう。
しばし見つめる。 確かに墓石は本物なんだろうけど、どうも違和感がある。 周りの土地や仕切り石などが新しすぎるのだ。 それに後ろの造成地・・・・・。
そういえば出発前の「坂本家の墓」の検索中に2chが引っ掛かったな。
もしかして移動しているのかもしれない。
まぁ、そこまで感じた処で、その辺の詮索は止めておこう。
献花すればよかったな。 これは帰宅後の事だが、あの造成が気になって調べてみた。 衛星写真で比較してみると、殆どの土地が造成されているのが判る。 おそらくここに眠る殆どの墓が移動になったのだろう。
観光客としては造成の目的に関しては関知しない事にする。 13時半
時間がたっぷりとあるので、出来るだけ市街中心部から離れた順に周ってみる事にする。
高知城の北側、大川筋町2丁目辺りで迷う。
汗が噴出したまま止まらない。クラクラしてくる。
出来るだけ古そうなお店を探して聞いてみる。
展示物が少ない。 しかし暑い! ジャケットを着る事とバイクを押す事が苦痛になってきた。 もっと周るつもりだったけど、もうダメだ。 才谷屋跡(コーヒーショップ)に行って休憩しよう。 14時 才谷屋跡到着。 【場所】
・・・・なんで休みなんだよ。 「さいたにや」じゃなくて「さいだにや」だったのかぁ!
って、よ〜く見たらイタズラ書きだった・・・。 市街に入ってからイチサンでの移動が辛くなってきた。 ものの数分で次のポイントまで移動できるのだが、とにかく場所が判らないのでいちいち探さなければならない。 バイクがデカ過ぎるのだ。 だからイチサンで移動するのはもう諦めて、今日泊まるホテルに向かう事にした。
才谷屋から400mと離れていない処にある「オリエントホテル高知」到着。
無理を承知でチェックインを迫る。 バイクを玄関先に置かせてもらい、チェックイン。
シングルの狭い部屋ながらもベッドがあるよ! 快適だぁ〜!す〜ず〜し〜ぃ〜!!
汗でグショグショの服を放り投げて、素っ裸でベッドへ倒れこむ。
寒くて目が覚めた。
まだ時間があるので、今日周れる処は周っておこう。
「自転車貸して下さい」 バイクを玄関脇に置くの図。
いや、写真撮るの忘れちゃってさ。 事前に聞いた「玄関脇に留められます」を前提に宿泊はしているが、「24時間誰かが居ますので心配ないですよ」に安心した訳だ。 15時
しかたなく歩く事にする。
また史跡巡りには当然と言えば当然である、階段&山歩き責めに腿と膝がパンパンの状態で歩き始める。
現時刻に6時間をプラスしても21時にはホテルに着けた訳だ。
しかし一方で、疲労からくる体力の消耗や時間を気にする心の余裕などを考慮すると、決して安全に、しかも楽しんで巡れたか?というと、恐らくNOであろう。
市街は自分なりに街区を4ブロックに別けてみた。 今日はその西南に当たるブロック(@)で、市街のメインである龍馬関係を制覇する事にした。
さらにこのブロックはホテルから反時計回りに周ると効率がよさそうだ。 近くのラーメン屋で 【公式HP】【場所】 入館料300円。
撮影が不可な事で写真が無い事もあるが、正直余り印象がない。
なんかさ。県立や市立は全滅だな。
組織も、もうただのサラリーマン化しているんだろうな。
やはり民間施設である「龍馬歴史館」の方がよっぽど熱意を感じたよ。
Uターンして約200m東に戻ると「龍馬郵便局」がある。 【場所】
ん〜、車がじゃまだな。 そっか!今日は土曜日だ!・・・・ってか、郵便局って土曜は休みなんだ・・・・・。
そっちが驚きだったよ・・・・。(違うのか?) ここから真北に直線で50m。グルッと回った目抜き通りにある上田病院の敷地内に「坂本龍馬誕生の地」がある。 【場所】
こんなデッカい看板があるから”上を向いて歩こう!”ですな。 これだけ広い通りでカメラを構えるおじさんはちょっと恥ずかしい。 土曜日でよかった。 さて、今度はホテルを越えて、尚且つ、鏡川のほとりまで500m程歩くと「山内容堂(やまうちようどう)」関係に入る。 @ブロックの右下当たりだ。 【場所】 看板がものすごく小さいから自転車以上に速い乗り物だとまず見落とすな。
歩きだからすぐに判ったのだと思うよ。 先ずは「土佐山内家宝物資料館」から。 山内神社の左手から攻めて行く訳だ。
入館料300円。
一つだけ面白かった事。 関ヶ原の戦いで徳川家康から土佐20万石を貰った初代土佐藩主な訳で、廃藩寸前の時代の容堂が2代目な訳はないわな! 実は、容堂は14代目で、しかも「容堂」という名前は隠居後の姓名だそうだ。
本当の名前は「山内豊信(とよしげ)」なのだそうだ。 ま、どっちにしても、こんな備え付けの身分の人間(容堂)に興味ないや。
そもそも何故幕末が好きか?って、
そんな生まれつきの位のみで生きている人間に、半平太のような逸材が死に追い込まれるのだから、逃げたくもなるって。 話が逸れてしまったが、 神社を抜けて一つ通りを挟んだ三翠園ホテルの敷地の中に「旧山内家下屋敷長屋展示館」がある。 【場所】
その通りに出た所で何やらお祭りの雰囲気。 なるほど・・・・興味なし。
下屋敷長屋もたいして面白くなかったので早々に退散する。 出た所の向かい、神社の敷地の角に「容堂邸跡」の碑があった。 【場所】 まぁ、この一角は全部所有地だったのだろうから、”この辺”でいいんじゃない?
ホテルを出てからここまで2時間。
17時 明日周る予定の1/4ブロックを制覇してしまったので、かなり余裕が出来そうだ。
頭の中で「ライダーズイン奥物部への移動」と今回の予定に入れていなかった「自由民権運動巡り」の選択が出来てきた。 宿泊の関係もあるのでダメならダメでもいいではないか。
7時 起床。
早々に自転車を予約しに行く。
7時半
走り始めてものの数分で悟ったよ。
高知城まで自転車だと数分。
県庁を通り過ぎ、追手門をくぐると、
自転車を門に置いて近づく。 追手門の外、出た左手に「山内一豊像」がある。 【場所】
威風堂々とはこうした出で立ち(いでたち)を指すんでしょうな! 大橋通りに向かう途中の「ひろめ市場」で土産を選び、そのまま鏡川まで南下すると、手前右手に「後藤象二郎(ごとうしょうじろう)誕生の地」の碑がある。 【場所】
小さな公園の入り口にひっそりと建っている。 これだもの・・・・・。 バイクだったらスッと通り過ぎておしまいだよ。 そこから100m戻った右手に「高野寺」というお寺がある。
その右脇に「板垣退助誕生地」の碑がある。 ちなみにこれが本日行動を共にする相棒の無料レンタル自転車!
このレンタル・システムはどうやらホテルの一存ではなく、市の観光事業によるホテルへの貸し出し品のようである。
大橋通りまで戻ってR32を渡り、左手100m程進むと、片岡健吉も社長を務めた高知新聞社があるが、その裏手「ひろめ市場」近くに「武市半平太殉職の地」碑がある。 【場所】
これもかなりひっそりと建っている。 R32に戻って、R32沿いに左手300m程進んだ中央公園内に「立志社跡」がある。【場所】 高知県観光協会が作った「高知中心部MAP」で唯一ミスプリがあるのがここで、地図で言う、”公園左下”ではなく”公園右下”になる。
(中央公園派出所で聞いちゃったんだから!) 10時 ここでひとつ決断をする事にした。 この調子で自由民権運動を歴訪するなら「自由民権記念館」はハズせない。 しかしそこまで足を伸ばすと「ホテルに戻って”ライダーズイン奥物部”まで移動する」スケジュールが辛くなる。 だから昨日から悩んでいた結論としては「ライダーズイン奥物部への移動」は諦め「ホテルに連泊してこの歴訪を続ける」だった。
早速ホテルに電話して宿泊が可能か?聞いてみる。
これで、さらに時間が出来たぞ! だもんで、急にこんな処に寄ってみたりする・・・・。 立志社跡から100mだったし・・・。 【場所】
今回の旅で数少ない一般観光スポットの一つとなった。 そういや、ここまで散々R33(R32)を通っていながら、レールバスの写真を一枚も撮っていない事に気づく。 一枚くらいあってもよかろう。
そこから300m北へ。 江の口川にぶつかる寸前の路地に「中江兆民(なかえちょうみん)誕生地」碑がある。 【場所】
自由民権運動を頭脳で支えた功労者である。
志士ではないのだが、龍馬の信念でもある、 こんな感じでポツネンと・・・・・。
駅構内の案内所で聞くと、その関係ではもう他に見る処は無いと言う。
「美術館なんて如何ですか?」 県立美術館まで約4km。 歩く速度でゆっくりと自転車を漕ぐ。
高知港に注ぐ国分川に掛かる新国分川橋を渡る。
「熱帯 楽園 浪漫 美術家たちの南洋群島」なる催しを眺める。
ここまできて、やっぱ気が付いた。
なんだよ・・・・。 ここからR195を左折してR32に合流後、R56を左折する。 鏡川大橋がちょっとしたブリッジになっていて自転車の辛さを改めて理解した・・・・。 逆に下りを気持ちよく激走してから県34に出て左折。
高知駅からここまでの約10kmだけで、すでにペットボトルを10本消費している。
なのにここまで全く尿意が無い。 自由民権記念館到着。 【公式HP】【場所】
なんか立派な作りだぞ。
「撮影は禁止ですか?」
要するに・・・撮っていいって事だな。 板垣退助殺害の凶器。 さすがに本物に接すると厳かな気持ちになるよ。 廃藩天皇制によって、武士と平民という格差は無くなったものの、逆に差別という形で根の深い問題が起きた。 しかし平民から見た非人などという差別はそれ以上の醜さだったという。
明治も半ばになってやっと平民層が立ち上がれる機運が高まってきた訳だ。
それでも国民主権という発想はまだ一部の識者しか持ってなかった訳だ。 13時 自由民権記念館から約3kmで高知城に戻る。 【公式HP】【場所】 追手門から板垣退助像脇の階段を登って三ノ丸跡に向かう左手に石樋(いしどい)という石造りの樋がある。 本丸から二ノ丸、三ノ丸と排水された雨水が石垣に当たらないように長い樋を作っているのだ。 これだけはっきりと突き出した樋は珍しいらしい。
二ノ丸、本丸と登っていく。 やっと本丸から天守閣への入り口。 入場料400円。 県庁方面へ城下を望む。 そりゃ、さぞかし気持ちのよかった事だろうて・・・。 しかし、上がる時も驚いたけど、下る時には恐怖を覚えたよ。 なんだ!この階段は!
城中、絶対にドリフのコント騒ぎがあったハズだよな・・・。 高知城の西側に「植木枝盛(うえきえもり)旧邸」がある。 【場所】
やはり立志社の頭脳担当で、自由党案としての「東洋大日本国国憲按(こくけんあん)」を起草した人物だ。 今はただ、ひっそりと佇(たたず)むのみだ。 大膳町の第四小学校前に「婦人参政権誕祥之地」碑がある。 【場所】
いわゆる「民権ばあさん」と言われる楠瀬喜多(くすのせきた)を主宰とした男女同権運動を展開した地としての碑である。
女性参政権運動が自由民権運動と融合して、やがては大正デモクラシーへと発展していく訳だが、その先駆となったこの人物への当時の風当たりは相当なものだったに違いない。
いい加減、資料の整理をしないと記憶から落ちていく。
旅の計画での最優先事項! => 肉体的疲労を補う時間を考慮すべし!・・・・を悟る。
あっ!いけね!あそこへのお土産忘れた!
明日はいよいよ岐路へつく。 【7月28日(月) 6日目】
6時
荷物を纏めてバイクに積む。
アラームを調べると2回作動している。
1回目は屋上ビアホールの集団客が出入りした時、 安心できるぞ!オリエントホテル高知!
7時 ガソリンが空のままだったので、高知駅近くで3回目の給油。
高知ICから今回初めての高速に乗る。
ガラガラの高速を80km/hで走行する。
やなんだなぁ・・・・これが。先頭になりたくないのよね。
ずっと80km/hで走っていたいのに、すぐ後ろに付くんだもの。 途中の吉野川SAで簡単な朝食を摂る。
誰かが言っていた「トンネルばっかりのイメージ」の意味がよく判ったよ。
高速を降りて右折。
おっ!デカい荷物を積んだスペーシー125見っけ! 9時半 徳島港到着。
杉並ナンバーの若者にコーヒーを渡しながら「根性だね!」と話しかける。 そうかと思えばエイプ100で10日間周ったというツワモノのおじさんまで居た。
なんか・・・・このニッポンって、思ったよりアクティブな人間がいるものだな・・・・。 ちょうど北九州からの船が到着した。 乗船は11時からだから、ちょっと仮眠を取る。
11時半
ここで驚いた!
L字の岸壁に鼻先を入れているから前進出来ない状態。 じゃ、どうやって出航するか?というと・・・・。 @左前後4本で係留されているロープのうち、後ろ一本を残して3本を外す。
Aペラ(スクリュー)は合計三個。メイン・ペラが後ろに一個、船首の左右に一個づつなのだが、その左ペラだけで船首を離岸させる。 B後ろ一本のロープが繋がったままだから、そこを軸に45度右に振れた処で停船。 C最後のロープを外して、メイン・ペラでそのまま200m前進。この時通過する左側面と岸壁の距離はたった数メートル。 D停船後、面舵(おもかじ)一杯の状態で、メイン・ペラと左ペラで旋回を始める。左ペラによって全体が右に流れないように面舵で調整しながら、尚且つ前進しない程度にメイン・ペラを回す事によって後部が右に流れるのを防ぐ訳だ。 E全長166mのほぼ中心を軸として残りの135度を旋回する。 F180度旋回したら停船。メイン・ペラで出航!となる。
どう?鳥肌モンじゃない?
余りに感動したのでそれをクルーに伝えると、嬉しそうに正確な操舵方法の講義をしてくれましたよ!・・・・たっぷり時間ある訳だしさ・・・・。 さようなら四国。 ありがとう高知県。 一生の思い出をありがとう! 例によってまた16時間(帰りは潮の関係で2時間早い!)やる事が無いので、一番上のデッキに座って、今回の資料の纏めの続きを行う。
しかし今日はなんだか揺れる。
しかし下を向くと酔ってくるので、レポートはやめて寝る事にした。 【7月29日(火) 7日目】
4時
空がだんだん明るくなってくる。 5時半 有明港着岸。 岐路へ。
7時 また、無事に帰ってこられたのは、ひとえに家族に普通に会いたいから、そして普通に土産話しを聞いてもらいたいから。
疲れました。
このHPを書き上げたのは旅が終わってから6日後。
今回は走り込むツーリングではありませんでしたが、それでも十分すぎるくらいにバイクと共に過ごしました。 そして旅先の地元の人達、旅中の人達、いちさん倶楽部の皆さん、そして家族に感謝です! また、計画したいなぁ〜! 最後に、結局走ったルートはこうなりました。 ★★★ワンポイント・アドバイス★★★ もし高知市街を周る時は、事前に高知県庁観光部或いは高知市観光協会に連絡をして「高知中心部MAP」(印刷物)を送ってもらうとよいですよ。 市街地の歴訪ポイントが載っているので、歴訪順を書き込んでから観光に望むと便利です。
また、夏場は大変暑く、ペットボトルだけで1万円近くの出費がありました。(合計で60本以上飲みましたよ!)
総走行距離:761.7km
おしまい! |