【2024/07/01】
旅をした2008年に主流だったモニタ解像度はXGA規格の1024×768ピクセルでアスペクト比4:3でした。
よって当時の画像も640*480ピクセル程度に切り出していました。
そして2024年現在、モニタ解像度はフルHD規格の1920×1080ピクセルでアスペクト比16:9が標準仕様となっています。
今や面積比で4倍強となってしまった画面には当時のままの画像は余りに小さく見にくい状況(実質1/4サイズ)となってしまいました。
よってFHD規格に合わせて1000×800ピクセルを基準とした切り出しを元データ(4M規格2304×1728ピクセル)から行い再編集しました。

尚、各場所のリンク先も時代の流れで(?)YahooマップからGoogleマップへ変更しました。
さらにこの16年間で各サイトへのリンク切れも多々発生していましたので出来る限りの修正をしていますが消滅してしまったサイトもありますのでご了承下さい。
それでは引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。





坂本龍馬を巡る 維新探訪の旅

一度は訪れてみたかった土佐は桂浜。 やっと念願が叶った瞬間だ!


【序章】

前にもどこかで言った記憶がある。
システム屋って〜のは季節・時間に関係なく仕事するもんで、やれお盆に休みだ!年末年始に休みだ!・・・なんて縁の無い話。
そもそも人が休んでいる時を狙って、サーバ制御・システム稼動テストってのをやるもんだ。
因果な商売だよね〜・・・でもまぁ、休日こそがメインのサービス業に比べればまだマシか・・・・?

それが今年はどうした事か!真夏に10日間も休みが取れちゃったよ。
四半世紀もこの仕事してて初めてだったりする・・・・・。

こういう時はどうすればいいんだ?・・・・家族サービスか?・・・・って家庭を振り返ってビックリ!
みんな予定があるでやんの。部活に発表会に仲間と遊びに・・・・・。
ふ〜ん・・・・なんでぃ!だったら一人で遊びいっちゃる!

さ〜て、何処行っちゃおうかなぁ〜♪
もう二週間後に迫った休暇に照準を合わせて(慌てて)考えてみる。
難しい・・・・だってそんな思考を持った事が今まで無い訳で・・・・。

丁度、十数回目の読み返しをしている最中の本を伏せて考えながら、をっ!と気づく。
だって司馬遼太郎の「竜馬がゆく」だったりする訳だもの。

そうだ!京都に行こう!ミュージック・スタート♪

やっぱ遠方でしかも一人で宿泊するなら伏見寺田屋でしょう!
今でも実際に泊まれる事は承知しているので、早速問い合わせてみる。
即座に対応はしてくれたが、宿泊は最低2人以上が条件らしい・・・・しかも飲酒・喫煙不可だと。
駐車スペースも無いし・・・・やめた!・・・・・・・・ん?待てよ!・・・それじゃ、近くのホテルに泊まって見学だけすればいいじゃん!

で、ホテルを探す。
当然、バイクなんだから地下駐車場か、シャッター付よね・・・・って探し始める。

しかしJTBとかいろいろググッて見てみたけど何処も異常に高いのよ。宿泊が。
それで気づいたね・・・・そっか!世間は丁度夏休みなんじゃん!!!
いわゆるオンシーズンってやつかよ!・・・・なるほど。そりゃ高い訳だ・・・・止めよっかなぁ・・・。

マップ・ファンを弄りながら早くも意気消沈状態で関東近場の地形なんぞを眺めていたのね。しかしそれもすぐに飽きちゃって。
だからデタラメに瞬間移動しながらボケ〜ッと遊んでいたら、見知らぬ土地の端に「ライダー・・・」の文字が。
ん?思わず、ずらしてみると、そこには「ライダーズイン」と書いてあった。

あれ?ライダーズインって聞いた事あるな?
と縮小。そこは高知県だった。

あっ!そうか!
以前に高知県の行政としてライダーを呼び込む為の施設を作ったってニュースを聞いた事があったな。
それで調べてみた事があって、半円のドームがボコボコ並んだハウスでバイクを自分の泊まるスペースの隣に置けるんだった!
確か、ものすご!安いハズだ!

早速「ライダーズイン」でググッてみる。出た!これだ!
やはり県の施設のようで、一泊3,150円!安っ!決まりだな!

それにしてもあと二週間後なんだけど、予約出来るのかな?・・・もちろん平日だけど・・・オンシーズンだし・・・。
ってか、一度は訪れたかった土地ではあるが、イザとなると、ちょっと遠くね?飛行機じゃないんだから。
・・・って臆する気持ちと、もうこんなチャンスはリタイヤするまでないかもしれない!?の葛藤が一瞬だけ続く。
チャンスの勝ち!・・・・で、片っ端から電話してみると意外にも全ての施設でOkだった。
何で?人気ないのか?それとも平日が効いたのかな?

にわかに現実味を帯びてきたので、更に慌てて計画を始める。考える事3分。
1:到着だけで一泊
2:維新関係の史跡・資料館巡りだけで一泊。
3:いわゆる名所巡りで一泊。
4:瀬戸大橋とか走ってみたくね?で一泊。
すると4泊=4箇所だな・・・・ってな訳で、さらに考えてみる。

一泊目:四国上陸後そのまま南下して室戸へ。=「ライダーズイン室戸」
二泊目:桂浜を中心に一日中グルグル。=「ライダーズイン中土佐」
三泊目:土佐藩の残り〜足摺岬〜脱藩の伊予。=「ライダーズイン四万十」
四泊目:瀬戸大橋(瀬戸中央自動車道)縦断〜山陽道〜明石海峡横断=「ライダーズイン奥物部」

だな。これに日程を入れてみよう。先ず往復の経路を考えてみる。
東名を使って片道800km、11時間っと・・・・え〜っ!!休憩なしで走って11時間!?
しかも高速代だけで17,700円!!
ガソリン代も計算すると800/16*175=8750で、合計で約26,000円!!(片道だけよ!)

えっと、2万6千円と11時間を使ったら、財布もそうだが、その前に体力ゼロじゃね?・・・・って感じか・・・・?
つまり・・・・バイクで高速を往復したら・・・・四国を嫌いになるな・・・・・きっと。
計画見直し!

長距離フェリーがあったハズだが、高速でさえこの金額だもの。期待できねぇ〜なぁ〜・・・。
と調べてみたら、なんと!2等寝台で12,240+(特殊手荷物運賃:二輪自動車750cc以上)11,270=23,510円!
(ところで何でバイクが手荷物なんだ?日本語書けよ!)

え〜?フェリーの方が3千円も安いじゃん!・・・ってか、同額だったらフェリーの方が100倍楽ジャン!!

ってな訳で長距離フェリー決定!
そうだ!どうせ(安い)なら、往復をフェリーにして、四国を満喫しよう!!(←それでも後に無謀な計画だと知る事になる。が今は知らない)
ってな訳で往復とも長距離フェリー決定!

で、運航表を眺めていると、2等と2等寝台はそもそも船が違うらしい。
2等寝台はカジュアルフェリーというカテゴで「おーしゃんさうす」と「おーしゃんのーす」の2艘があるようだ。
その運航に合わせてスケジュールしよう!

7月の連休明けの肝心の22日は何故か係留中だよ・・・なんだ・・・じゃ23日出発にしよう。

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23日(水):19時:東京湾出航
24日(木):13時:津田港フェリーターミナル(以下徳島港と称する)到着
24日(木):ライダーズイン室戸 宿泊
25日(金):ライダーズイン中土佐 宿泊
26日(土):ライダーズイン四万十 宿泊
27日(日):ライダーズイン奥物部 宿泊
28日(月):11時:徳島港出航
29日(火):5時半:東京湾到着
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と、ここまで決まった段階で、宿とフェリーの予約開始。
しっかし、ここまで満室とか満員とか考えもしないできたけど大丈夫かいな?って疑問が今になって沸いてきた。
まぁ、気にせず予約してみると、意外にも全て問題なく完了。もしかして、ものすごいラッキー?

さて、この拠点をベースに各拠点間を埋めていくか!
先ずキーワードを全て洗い出そう。
無作為に検索しながら目に付いた単語を片っ端から列挙していく。
坂本龍馬、中岡慎太郎、岩崎弥太郎、板垣退助・・・・・
これらのキーワードから、現存する蹟、像、跡、館・・・などを洗い出てみる。
新宮馬之助誕生地、武市半平太旧宅、岡田以蔵のお墓・・・・・およそ35箇所のポイントが挙った。

さ〜て、それじゃ各ポイントを地図上に落とし込んでみるか。(マップ・ファン&フォトショップ大活躍!)
これが完成すれば走破すべきルートは自ずと見えてくるな。

・・・・・(数日没頭後)・・・・・

あれ?こうしてみると、殆どが高知県だな。しかもその半分以上が中心街に集約される。
へぇ〜・・・・やっぱ徒歩の時代からするとそうなるのかなぁ〜・・・・現実的な位置関係が地図から読み取れて面白いぞ!

さて、高知県に散らばったライダーズインをベースに「ルート枠=1日で周れる範囲」を設定してみる。

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24日(木):徳島港スタート
       初日:室戸〜安芸周りを歴訪
24日(木):ライダーズイン室戸
       高知市街〜中土佐まで歴訪
25日(金):ライダーズイン中土佐
       足摺〜愛媛県伊予・今治を歴訪
26日(土):ライダーズイン四万十
       香川県と徳島県のの橋系制覇!
27日(日):ライダーズイン奥物部
       港へ直行するだけ。
28日(月):徳島港出航
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よし。これをベースに距離と要する時間を埋めていこう。
初日:およそ400km:14時間(移動時間大)
二日目:およそ200km:18時間(歴訪時間大)
三日目:およそ500km:14時間(移動時間大)
四日目:およそ600km:16時間(移動時間大)

・・・・なんだこりゃ???・・・・・もしかして・・・・四国って・・・・広い???
初めて四国の大きさを実感したのでした・・・・。

だめだ・・・やり直し!
よし!「ライダーズイン四万十」中止!香川県に入ってから一泊しよう。早々にキャンセル。
でもちょうど三日目って土曜日なのよね・・・・ヤベ!・・・急げ!

と探したのが、瀬戸大橋の入り口である香川県坂出市の「坂出グランドホテル
バイクの管理に気を使ってくれそうで安心感があったのよ。

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24日(木):徳島港スタート
       初日:安芸〜室戸(逆ルート)
24日(木):ライダーズイン室戸
       高知市街(1/2)〜中土佐
25日(金):ライダーズイン中土佐
       高知市街(2/2)〜足摺〜香川県(この時点で愛媛県伊予・今治方面の歴訪を断念!)
26日(土):坂出グランドホテル
       香川県と徳島県の架橋系制覇!
27日(日):ライダーズイン奥物部
       港へ直行するだけ。
28日(月):徳島港出航
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これでどうだ!
初日:およそ400km:10時間(移動時間大)
二日目:およそ200km:12時間(歴訪時間大)
三日目:およそ600km:16時間(移動時間大)
四日目:およそ400km:14時間(移動時間大)

あれぇ〜っ?だめだ・・・・余り変わらない・・・・何が原因なんだろう・・・・って結論は簡単だった。
やっぱ広すぎ!恐るべし四国!・・・・って訳で、この時点で四国一周断念!
4日間で四国一周は無理なのね。地元の人からすれば当たり前ジャン!かもしれないけど・・・。

ここでようやく現実的な高知県一周に切り替える。(←すぐにこれも無謀だと知る事になる)
金毘羅様、瀬戸大橋、鳴門の渦・・・・一般的な観光名所は全て断念しよう。
同様に長宗我部元親や平賀源内など分野違いの歴訪も考えていたのだが、どうやら維新探訪だけ!で手一杯の様である。

昨日予約した「坂出グランドホテル」を早々にキャンセルし、翌日の市街歴訪に合わせて、高知市内のホテルを探す。
HP予約で「オリエントホテル高知」を確保!
電話での確認によると無料自転車を貸してくれるとの事なので、四日目はバイクを置かせてもらったまま市街を自転車移動してみよう。

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24日(木):徳島港スタート
       初日:室戸周りを歴訪
24日(木):ライダーズイン室戸
       高知市中心を除いた外枠を制覇する!
25日(金):ライダーズイン中土佐
       さらに外枠の足摺〜四万十を制覇!
26日(土):オリエントホテル高知
       高知市中心部を総なめにする!
27日(日):ライダーズイン奥物部
       港へ直行するだけ。
28日(月):徳島港出航
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今度こそ!これでどうだ!
初日:およそ180km:6時間
二日目:およそ170km:12時間
三日目:およそ300km:11時間(移動時間大)
四日目:およそ50km:10時間(歴訪時間大)

なんかクラクラしてきたゼイ・・・・・高知県だけなのに広っ!・・・・・でも、もうこれ以上縮めようがないな。

全部で6泊7日間の行程とはいえ、船中2泊+高知市街だけで1日使ってしまうので、結局は3泊で周る事と同じになる。
相当な体力と気力が必要になりそうだ。ちょっと気合が入った処で平行して装備も一新だ!(2008/7/19)

それじゃこれに、先に選定した歴訪ポイントを入れてみるか。

24日(木):室戸周辺を歴訪
   徳島港スタート
      中岡慎太郎館
      中岡慎太郎生家
      中岡慎太郎像・室戸岬
   ライダーズイン室戸 到着
25日(金):高知市街を除いた外環を歴訪
   ライダーズイン室戸 出発
      岩崎弥太郎像
      岩崎弥太郎生家
      お龍・君枝の銅像
      新宮馬之助誕生地
      龍馬歴史館
      板垣退助の墓
      岡田以蔵のお墓
      武市半平太旧宅
      坂本龍馬記念館
      武市半平太像
   ライダーズイン中土佐 到着
26日(土):足摺〜四万十周りを歴訪
   ライダーズイン中土佐 出発
      ジョン万次郎像・足摺岬
      ジョン万ハウス
      維新の門
      吉村寅太郎誕生の地
      吉村寅太郎宅跡
      吉村寅太郎像
      坂本家の墓(翌日の負担軽減の為)
   オリエントホテル高知 到着
27日(日):高知市街を歴訪
   オリエントホテル高知 出発
      板垣退助像・山内一豊の銅像
      武家屋敷資料館
      中江兆民誕生地
      吉田東洋暗殺地の碑
      後藤象二郎生誕地
      旧山内家下屋敷長屋展示館
      山内容堂邸跡
      山内容堂像
      土佐山内家宝物資料館
      坂本龍馬誕生の地
      龍馬の生まれたまち記念館
      龍馬郵便局
      近藤長次郎邸跡
      才谷屋跡
   ライダーズイン奥物部 到着
28日(月):帰るだけ
   ライダーズイン奥物部 出発
   徳島港出航

ん〜、いいかも。
歴訪だけを考えてツーリングを意識しない場合は、最終日の「ライダーズイン奥物部」は不必要で「オリエントホテル高知」に連泊がベスト。
おそらく翌日の移動時間も1時間は稼げげるハズだ。
しかし四国周回を断念した今、それじゃ余りにも寂しくね!?って考えて、ここはあえて「ライダーズイン」に拘ってみた。

当然、抜け漏れはあるだろうし、実際には省略する場面もあるだろうから、こんなんで留めとくか。
最終的には実際の、歴訪先・距離・到着時間・滞在時間・出発時間・料金などを記載するつもり。
んで、想定コースはこうなった。

こうして見ると、やっぱり四国はおろか高知県一周すら出来ていない事がよく判るね!
こりゃ題名を変えなきゃダメだな・・・・・ってな訳で、
冒頭の題名を「四国一周の旅」から「坂本龍馬を巡る 維新探訪の旅」に変更した訳だ!

ここまでの机上のスケジューリングだけで一週間掛かったよ。(能力ねぇ〜な〜!)
今や、歴訪ポイントは地図上で一発で探せるようになっちったもんね!(嬉しいのか?それ?)
疲れた・・・・さっ、後は「竜馬がゆく」の続きでも読みながら、イザ!脱藩の刻を待つか!








【2008年7月23日(水)1日目】

10時
出発前の点検。
マジックアラームのリモコンがおかしい。
電池かな?・・・って、そういえば替えた事なかったな。ホームセンターまで買いに行く。単5で12V37mAが498円
ついでに取説が見当たらなかったのでメモしておくか。
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・フェリー乗船等で全ての機能停止:メインスイッチONで黄色2秒以上。(アラーム音1回で確認)
・フェリー下船等で全ての機能復活:メインスイッチONで黄色2秒以上。(アラーム音2回で確認)。つまりリピートしてる訳だ。
 動作確認はメインスイッチOFFで黄色1回でアラームが1回鳴れば動作中。これを以下「リセット」と呼ぶ。
 逆に言うと完全機能停止時はリセットしても反応がない。
・リセット状態で5分以内にメインスイッチONすれば、そのまま走行可。
 逆に停車してメインスイッチOFFにすると5分後にアラームセットされる。
・停車時の動作確認はリセットをしてみる。
--------------------------------------------------------

15時
自宅出発。
やっぱタンクバックってじゃまだな。
フルロックが出来なくなるのでUターンは注意が必要。

走り始めて5秒でメッシュ・ジャケットの有り難さが判りました。
体の中に風が入ってくるんですよ!・・・・当たり前なのかもしれないけど・・・・結構感動です。
何を頑張って7年も我慢してきたのかねぇ〜・・・・。

16時
東京港フェリーターミナル到着。

今日乗船する「おーしゃん さうす」だ。

全く乗り方が判らないので、近くにいたヘルメット被って走り回っている係りの人に聞いてみた。

「バイクは行き先に関係なくBに並んでください。バイクを置いたらあの建物の2階で受付して下さい。受付は17時からです」
とビルを指して丁寧に教えてくれた。

当然1番だな。バイク誰も居ないし。
慣れてる人は受付ギリギリに来るんだろうな。

当然まだ閉まっていてひっそりとしていた。

しかし17時の受付と同時にバイク8台が到着。

後ろに並んだGSX1400のおじさんは北九州に行くのに積み込むだけだと言う。

なるほど。そういう手もあるのか。確かに九州までは船だと2泊3日の旅になってしまうので効率は悪いかもしれない。

体は飛行機で行けば往復で4日消費せずに済む訳だ。

まぁ、忙しいサラリーマンの発想だけどね。


飛行機もそうだけど乗船名簿って、気分的に良し悪しよね。

確かに沈没して行方不明になったら名簿だけが頼りかもしれないけど、はなっから不安を煽られる訳で。
だって、どうしても想像しちゃうじゃない?

でも家族の為を思えば仕方が無いか・・・・。


なんか船の大きさと積載する車輌数が全然違うぞ!
と思ったら、大半は大型トレーラーなのだそうだ。
しかも人間は現地の担当者が行う様で積み込みだけ。
少しでも経費を浮かせる株式会社の知恵ですな。

18時
ヘッドライトに「徳島」と張って、積み込み開始。
北九州方面から積み始める。当たり前か。

部屋が「214 G-下」だったら当然2階だと思うじゃん。
だから船底に向かって階段を4階ほど下りていく。
なのになんで機関室に到着するの?
戻って聞いてみると客室は甲板の上だそうだ。

HPの写真では4人部屋かと思ったのだが、なんと12人部屋。
でも寝台だから個室っちゃ〜個室か。
向かいの人と「結構大部屋だね」と笑う

荷物を置いて甲板に出る。

船なんて何十年ぶりだろう?
とってもワクワクしている。

甲板を歩くと機械油の臭いがする。
好きなんだよなぁ〜この匂い!

広い後部甲板に緊急集合場所と書かれている。
だから怖いよ・・・。

羽田の飛行機がデカイ。
東京湾の釣り船に凝っていた時によく見ていた光景だ。

19時

さぁ、出航だぁ!
19時なのにこんなに明るい!

船内に戻って息つく暇なく探検開始!

空調もちょうど良くて
甲板から中に入るとヒヤッとする気持ちよさ。

楽しすぎて気絶しそうになりながら静かに冷静にはしゃぎまくる。

船室内はとても綺麗。
簡素ではあるものの必要十分って感じ。

食事系は全て自販機。
嘗てはレストランがあったらしいのでおそらく経費削減なのだろうが、逆に24時間営業していてくれる自販機群は有難い存在だ。

良く見ると、椅子をはじめとする備え付け品は全て鎖で繋がれている。

確かに緊急時にはこれらが凶器になるかもしれないわけか。

出航後はもうお任せ。

どんな時間の使い方をしようが18時間は出れらないのだからのんびり過ごすしかあるまい。

旨い!
レトルト自販機恐るべし。

まぁ、旅の始まりなのだから甘やかし度500%だけど!

風呂へ。

まだ誰もいない。
揺れもなく快適だぞ!

え〜と・・・なんか関西では普通らしいが・・・怖いわっ!

個室!?
12人部屋をカーテンで仕切ってるだけだけど、この空間がまた嬉しいわな。

いちさん倶楽部へメールするとそのままウトウト。

23時に目が覚めてから
ウトウトの繰り返し。

明日は何時に起きても関係無いし・・・・。

おやすみさない・・・。

【7月24日(木)2日目】

6時
朝食。
あたしってば、美食ではなく多食(!?)なので、食べられればなんでもいいの。

ベタ凪の静かで美しい朝です。
日常ではあり得ない情景が気持ちがいいですね〜!

太平洋沖では地球が丸いのが実感できます。

ここで落ちたら誰にも気づかれないまま・・・・って考えると一気に恐怖が襲ってきますねぇ。

ちゃんと一人一個あるのかなぁ・・・

8時50分
静かなBGMが流れる船内にアナウンスが。

「右手に本州最南端の岬、潮岬が見えて参りました。どうぞご覧下さい」

なるほど。
で、最南端って何県よ?
などと気にもせず通過。

ところで誰か知っていたら教えて!
この近海で3匹見たんだよ。

体長50cm〜1mくらいの魚で、全体がグリーンでひれが黄色で尾っぽがブルーの魚!
何?何?あれ!?

写真に収めようとカメラを構えていたんだけどダメでした。
でも見たんだよ!3匹も!

それからここでシュモクザメも目撃!
自然の実物を初めて見ました。

前方に徳島県が見えてきました。

長い時間なんだろうけど船内では高揚したままだったのであっという間でした。

13時
徳島港着岸。

狭い場所にキッチリ留めるね。しかし。
新幹線の+-30秒停車を思い出す。
日本人だねぇ〜!

まだ甲板に出ないで!指示が。

甲板から狭い階段を降りてバイクに向かう。

前の人が「怖いですね」と急な階段を降りながら苦笑いする。
「こんな処でコケたら台無しですねぇ〜!」
と一緒に笑う。

バイクに戻るとしっかりラッシング(固定)されていた。

13時半
下船して荷物を固定し直したら、ライダー達に別れを告げて、さぁ、旅の始まりだ!

ここは四国だ!今、四国を走っているんだ!・・・・・の感動が嬉しい!楽しい!
まさにツーリングの大気味だな!

港から阿南海岸に沿ってR55を南下する。
直進91kmって長すぎるだろ!ナビ!
他にも何か言ってくれよ!

しかし海が綺麗だ。透き通っている。
この地形では外洋と言うのだろうか?
まぁ、銚子みたいなものだと思えば、思い切り外洋か。

しかし何で誰も遊んでないんだろう。夏休みなのに。
やっぱり今時の親は「危ないでしょ!」とか言ってるんだろうか?

信号が無い。というか、あるんだけど、全部黄色の点滅だ。
だから平均で70km/hで走れる。
でもこれに慣れると本当に黄色の信号に出会うとドキッとするよ。

ナビでは所要時間2時間とあった交差点まで巡航速度が効いて1時間。
ここでR493に入る・・・・・・え〜?これさぁ〜、国道だよな・・・・・一車線ギリギリの峠道で激しい勾配と雑木の落ち葉。
もしかしてこれが俗に言う”酷道”ってやつかい!?
こりゃ正丸峠より厳しいぜぃ!・・・・・なんで四国まで来ていきなりこんな試練が待っているのよ!?

しかもこれが37km続く。
崖を越え谷を越え山林を越え・・・・・一車線と言ったが、3ナンバーは絶対通れないよ!ここ。
舗装してくれてるだけ有り難いと思うようになってきたぞ。

早く抜けないと寂しすぎるよ・・・・この道。
わっ!何か今横ぎったよ!・・・・・黒い影がサッ!って横切ったよ!・・・・こ、怖いよ・・・狭いよ・・・暗いよ・・・・。
もしまた訪れる事があっても絶対迂回するぞ!R493!

37kmの酷道を1時間で抜けると突然開けた。

15時半
デッカい看板に「中岡慎太郎(なかおかしんたろう)館」。

最初の歴訪ポイントなのにゼイゼイしてるよ。
こりゃ先が楽しみだわい!(自棄?)

拝観料500円に、
「500円かい!」と声を出したら、隣が受付だった。
しっかり聞かれた・・・・。

そもそも中岡慎太郎は自分にとっては、坂本龍馬と同等に気になる人物なのね。

最終的には薩長土の同盟を唱えた日本でただ二人の人間の内の一人な訳だが、そこに至るまでの愚直さが龍馬とは対照的なのが面白い。

注)ここに記する人物像はあくまでもアタシの主観であり、現実或いは見識に則った評論では無い事を明記する。

そこから10m下った処に生家がある。
急な坂を下る山村にありがちな建て位置だ。

40年近く前に住んでいた新潟の田舎を思い出す。
辛いとも思わずにその坂を毎日行き来するものだ。

大庄屋なだけあって、なかなか立派な建屋だ。

玉砂利が当時からあったのか?は不明だが、
そこには村方三役としての格式と誇りを感じる。

門先を壁で隔てている。
さすがに門番は居なかったろうけどね。

館に戻って肖像写真。

いつも思うのだが、この笑顔写真と銅像やパンフ等にある厳しい顔とが結びつかないのよね。
事によって多面性があるのかしらん?

16時半
出発。

土佐湾に向けてR493を走る。
こっち側のR493は2車線のまともな道だ。
きっとR493はR55からここまでの事を指すんだな!きっと!

R55に入って土佐湾を海岸沿いに30km南下すると、次の目的地の室戸岬に到着。

もちろん目的は室戸岬ではなくその先端に居る中岡慎太郎像

・・・そんなこた〜ないか。有名な岬だし。
楽しみにはしていたさ。

途中で1回目の給油。

岬の先端は誠に判り易く、距離にして100m程度。
R55がほぼ90度に曲がり100m程の直線でまた90度程曲がって反対側へ。

居た!
うっかりすると見過ごすぐらい高い所に居たわ。

ちょうど海側から像と室戸岬灯台が一緒に見える。

あれ?
結構デカい?

いや、デカ!!



余りにデカいので近づくとフレームに収まらん。
しかし後ろからも覗いてやる!(^_^;



R55を渡った岬の突端まで行ってみる。

ここからでも地球が丸く見えるぞ!
オーストラリアはすぐそこだ!?

ところで岬に到着する数百m手前で「↑ライダーズイン室戸」と書かれた看板があった。

どうやら北側から登るルートの他に南側から登るルートがあった様だ。
で、その南側ルートを登ってみる。

一気に登った頂上に展望台と書かれた駐車場の様なスペースがあった。
バイクが数台止まっていたので止まってみる。

すると一人が近寄ってきて「こんにちは!」と妙にニコニコしている。

「こんにちは。皆さん仲間でツーリングですか?」
と聞くと、
「いやだなぁ〜!一人ですよ!さっき船の中で向かいだったじゃないですか!」

何と!船の向かいのベッドで「大部屋だね!」と最初に会話した彼だったのだ。

しかしパッと見てよく覚えているなぁ・・・・。


一緒に室戸岬山頂展望台に登って記念撮影。

夕日が眩しいくらいに美しい!

さて、彼はこれから灯台を見に行くとの事だったので(興味は無かったが)付き合ってみる。

すこし下ってバイクを止め、歩くこと10分で灯台に到着。

スゲ〜!でっけぇ〜!?・・・・あれぇ〜?

灯台の頭は確かにデカい!
しかしっ!

頭しかないじゃんよ?この灯台!

柵のすぐ下を覗いて驚いた。
何と!頭の下はすぐ土台だったのだ!

久しぶりに笑ったよ。
勝手な思い込みなんだね!

岬から見えた灯台は頭だけしか見えなかったし、第一、あんな高い所に有るんだから、さぞかし、そびえ立つ立派な灯台だろう!・・・・・って思うじゃない!普通!

いや、設計した人から言わせると「何でそう思う必要があるんだ」って怒るかもしれないけど、人間なんてそんなものさ〜ね!
来て良かった・・・・。

この丘の上にはコンビニは無いとの事なので、そのまま下ってコンビニを探す。

北側ルート近くまで来た時に「酒・たばこ」の看板見っけ!
買出し後、北側ルートからライダーズイン室戸を目指す。

18時半
今回の一泊目にして初めて泊まるライダーズイン室戸に到着。

なるほど!写真で見た通りの棟が並んでいる。
しかし今日は平日で3台しか居ないようだ。

さっそく水道で水洗い開始。
こりゃ便利だよ。

この駐輪の方法は他の宿泊施設を寄せ付けない堅牢さがあるね。
地下にしろ、シャッターにしろ、とにかく自分とは離れる訳で「個々に手元にバイクを置いて下さい」なんて発想は出来ないからね。
全くスゴイよ!

部屋の様子。
ドアを開けると6畳弱の部屋。
シャワー・トイレ付きに感動。
なんと!クーラーもある!完璧だな。
照明が若干寂しいが、まぁ、良しとしよう。

出来ればコンセントがあと2つ欲しい。
携帯充電とカメラ電池充電とナビ充電だ。
いづれもこの旅には必要なものばかりだ!


洗車後に着替えて夕食に移る。
風が気持ちいい!

あっという間に日が沈む。
眼下に広がる巨大な車回し。
何が目的なんだろう?(すぐ上には切り返し可能な駐車場があるのに)

まぁ、もとかく明日は早いぞ!


【7月25日(金)3日目】

5時
起床。
清々しい朝にイヤでも目が覚める。
眩しい日差しの中で歯を磨いていると、一生現実には戻りたくないと思う。
いやいや!夢はまだ始まったばかりだ!
目一杯満喫してやるわい!

6時
出発。
北側ルートを降りて、R55に乗る。
そのままR55を太平洋海岸沿いに40km移動。

しかし対向2車線(片側1車線)って〜のも考えものだな。
先頭の一台につかえると後ろ全部が並ぶ形になる訳で。
間違えて先頭になってしまうと緊張するよ。

ただ昨日同様に信号は黄色の点滅が多いから市街地以外は信号が無いのと同じだ。
この道も約80km/h走行が出来た。

6時半
安芸市の市役所に程近い、安芸郵便局の前にある「江の川上公園」に岩崎弥太郎(いわさきやたろう)の像がある。
R55から10m程入った処だ。

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注:(2024年7月)
場所をGoogleMapに変更すべく「江の川上公園」を探すも像が見つからない。
検索してみたら2015年に生家前に移転されたそうな。
よって像のリンク先は以下に訪れる生家とします。
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これまたデカ!
岩崎弥太郎に関しては、個人的には若かりし日の顔を知りたいと思っている。

三菱財閥の創業者の顔ではなく、やはり龍馬を苦手としていた下横目時代の顔を知りたい。

だってこの年齢じゃ、怒りに任せて江戸〜土佐間を16日で走り抜けた人間とはどうしても想像できないもの・・・。
無いんだよね〜・・・・・。

江の川上公園から北へ3kmの処に岩崎弥太郎生家がある。



非常に細い道でyahooマップやmapionなどの地図には載っていない農道を行く。
しかし何故かmapfanの交通便利マップには載っているので併せて参考にされたい。



当然車で行くのはかなりしんどいのでバイクか自転車がお勧め。

尤も近くまで行けば「あっち」「こっち」と小さいながらも看板が出ているので確認しよう。

生家は現在は人が住んでいなくて、観光の為に出入り自由となっている。

しかしご近所は普通の生活をしている訳で、当然の配慮が必要だ。

たまたま隣人のおばあさんと会って挨拶したが、バイクの排気音など耳障りなだけで不快に違いない。

エンジンを切ると、無数のセミの声が広がり、すぐに田舎の農村の風情を醸し出す。

少なくとも休日の度に騒音をたてられては迷惑な話だと勝手ながらも思ってしまう。

早々に引き上げる事にした。

7時
再びR55に戻ってさらに西に12km。

芸西村の「土佐くろしお鉄道阿佐線和食駅」近くに「お龍君枝(ならさきりょう、ならさききみえ)姉妹像」がある。

何故、琴ヶ浜に像があるのか?
の説明は結局見つからなかった。

芸西村とお龍の関係が判らない・・・・・。

また、お龍が手を振る先は、桂浜に居る龍馬だと言われてもいるが、この真否も判らない。

作った人に聞くのが一番手っ取り早いんだろうけど、あたしゃジャーナリストじゃないんで、そこまではやらん!

ところで、ここにたどり着くには、東から入ろうとすると大変な事になるので注意が必要。
車では無理。
自転車専用道路と書かれた道をバイクで(!)やっとの道である。

但し、西から入れば車でも可能。
東から向かった場合は「和食駅」を通り過ぎ、600m先の川を渡る直前の下り道を左折して海に向かえば、そのまま駐車場へ入れるようだ。

7時半
さて、ここで呆れた話を一つ。

「お龍君枝姉妹像」からさらに西へ14kmの処に「新宮馬之助(しんぐううまのすけ)生誕地」がある・・・・・ハズだったのだが、最初のトライでは辿り着けなかった。

原因の一つには、いろいろなHPに掲載されていた位置が余りにもいい加減であった事。
ただ、まぁ、これはいい。個人が趣味で勝手に掲載してる訳だから責任も何もない。(このHPだってそうだけど)

しかし現場近くでどうしても判らず、県庁の観光課に聞いてみるものの知らなそう。
まぁ、高知市の人間じゃダメか!と所在地である野市町の観光課の電話番号を教えてもらい電話した。

私「あの〜、新宮馬之助の生誕地碑が見つからないんです」
町「え?新・・・・何ですか?」
私「新宮馬之助です」
町「新宮・・・・って何をお探しですか?」
私「だから新宮馬之助なんですが!」
町「新宮馬之助?ちょっと判らないんですが、それは誰ですか?」
私「え〜っ?・・・・幕末の志士で亀山社中の人間なんですが・・・・」
町「ちょっと聞いた事がないんですが・・・・調べますんで、後で電話してもらってもいいですか?」
私「あの?私は今、野市町の観光課に電話してますよね?」
町「はぁ。」
私「そんなに広くないであろう町の観光の中に幕末の志士は入ってないんですか?」
町「いや、そんな事はないんですが・・・・」
私「もういいです。町の観光を担当している人間が知らないって事は、大した人物でも観光スポットでも無いって事ですよね?」
町「・・・・・」
私「もういいです。この町は飛ばして次に行きます」
ガチャ!と電話を切る。

結構腹が立っていた。これが主因だ。結局こんな事で30分近く使ってしまった!
諦めてここから1km北西にある「龍馬歴史館」に向かう。

8時
龍馬歴史館に到着。

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注:(2024年7月)
「龍馬歴史館」が見つからず焦ったが、現在は「創造広場アクトランド アクトミュージアム」なる複合施設となっており、その中に「龍馬歴史館」がそのまま移設されているようだ。
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あれ?閉まってる!開館は・・・・っと9時かよ!
でも5分後、係りの人が出勤してきたらしく、そのまま開けてくれた。

1150円って高っ!
チケットを買いながら、ついでに今の出来事を話してみる。

係りの人は史跡を良く知っているらしく、「それは申し訳けない事をしました。観光で暮らしている人間としてお詫びします。それでは戻られるまでに地図を用意しておきますから、また寄って頂けますか」との事。

この親切な対応でだいぶ怒りが和らぎつつ早速中に入ってみる。

ここは撮影が可能であった為、多くの写真が撮れた。
(館内は全体に暗くて写真の画質が荒くなってしまったがご容赦を)

先ほど、1150円高っ!
って叫んでしまったが、結論から言うと、見終わった後で、安っ!と思った。

先ほどの親切な対応の影響もあるが、それよりも、ここの蝋人形はスゴイ!
良く出来ている。

HPでは「たかが蝋人形で千円取るか!」といった評価もあるようだが、私は全くそうは思わない。

先ず、龍馬幼少期より年代毎に見られるので、時代背景や出来事が判りやすく伝わる。

やはり視覚に訴えるインパクトは大きいのだ。

そもそも小説や歴史書を読む事で自分の中のイメージが出来上がる。

そのイメージは自分だけのものであり他人の干渉を受けるものではない。

しかし史実と物語りの唯一の違いは実在した人物及びその発想・理論・行動・結果が残っている事であり、これは曲げようがないものである。

尤も、曲げて自分に取り込む必要も無い訳だから、事実なら事実として知ろう、取り込もうと思う訳だ。

その代表格は何といっても人物像であろう。

生い立ち・性格・度量といった、
その人物の内面ももちろんそうだが、
簡単な話「へぇ〜こんな顔だったんだ!」
の驚きが新鮮なのである。

例えば、さな子(ちばさなこ)やお龍といった女性像にしても、いくら文章で”美しい”、”誰もが振り返る”、或いは”お仁王様”などと書かれても容易に顔の輪郭を想像できるものではない。

また時代背景上、写真が庶民にまで浸透している訳ではないのだから、往々にして身分・知名度の高い順にしかも晩年の肖像しか存在しない訳だ。

これを容易に再現できる手法が蝋人形である訳で「100回読むなら1回経験しろ」の意味で視覚の勝利と言える。

まぁ、岡田似蔵(おかだいぞう)が本当にここまで格好良かったのか?は知らんが・・・。

尤も、それでは、ここにある内容が、史実に基づいて正確無比なのか?
となるとそれは否であろうし、それを証明出来る現代人は居ない。

だったら、少なくとも自分より知識があってその分野で研究を進めている人々が想定した像を素直に受け止めた方が、ろくに研究もしないで尚且つ知りたいと願う人間にとっては、よほど早く次へ進めるというものである。

例えば、お栄(さかもとえい)の自害は、昭和後期になって発見された墓から、龍馬脱藩の十数年前ではないか?と言われ始めているし、そもそも病死ではないのか?とも言われている。

しかしそこを我々素人が何の努力もせずに真面目ぶって論議しても空論であると思っている。

その時の人間が作り上げた史実などは何時かは変わるものだ。
それが10年後なのか?100年後なのか?
知る訳がないのだから、それでも知りたい!と願う我々は現在の史実を楽しもうよ!の方がハッピーではないか!?

自説が長くなってしまったが、素直に楽しむ事にしよう。

この館の人間は、どうも司馬遼太郎のファンらしいぞ!
だって歴史の組み立て方が、自分と完全に一致してるもん!

そりゃ見やすい訳だ!
一つ一つに「そうそう!これか!」と感銘できるよ。

寺田屋騒動での負傷によって、龍馬とお龍の婚姻・日本人初の新婚旅行が実る訳だが、新婚旅行の龍馬の両手に包帯が巻かれているのは感動したぞ!

にしても、お龍さんって、こんなに可愛いかったんだ・・・・。
(こればっかりはどうも信用ならんのよね・・・出来すぎでしょ・・・・^_^)

ってか、二人の視線が合ってないのが気になって気になって・・・・。
位置調整しろよ!(^_^;

9時
非常に満足しながら出口へ。
これで千円ならまた見たいわい。

受付に戻るとさっきの係りの方が、新宮馬之助生誕地碑の場所をコピーした地図を渡してくれた。
「気をつけていってらっしゃい!」
気持ちいいぞ!この館!

改めて地図を見ると、何と!さっき諦めた場所から数十メートル先にあるではないか!
つくづく腹の立つ役所である。

9時5分
新宮馬之助生誕地碑到着。

新宮公民館の前に結構堂々と建っていた。

しかし、もう2度と迷わない位に地理が頭の中に入ってしまったぞ!

さて、さらに西へ20km。
もう高知市街まで2kmの地点で、高知自動車道 高知IC入り口近くに「板垣退助(いたがきたいすけ)の墓」がある。

9時半
板垣退助の墓到着。

R32から県44を北上してきた場合は簡単。
高知ICに入る寸前の二又は、実はさらに左に逸れる三又になっていているのだ。
一車線しかないこの左に逸れれば、この写真の正面から来る事になる。
わずか20mだ。

しかし反対から来る場合は問題あり。
高知ICに乗る手前の信号を右折すればいいのだが、その道幅はバイクしか通れない。
つまり車なら近くに駐車して歩くしかないのだ。

え〜!この階段上がるのぉ〜・・・・。
仕方が無い。登るか・・・・・。

しかし階段を登りきるとすぐに墓があった。

いかにも新しいこの墓石は昭和43年に”板垣会”なる組織が建てたと裏に記載されていた。

おそらく本物の墓は東京の北品川にある立派なやつの方だろうから、これは記念碑というべきか?

実は道を間違えてバイクしか通れない反対側から来てしまったのよ。

坂の上に駄菓子屋さんがあったので道を聞くと、この上だと、おばあちゃんが教えてくれた。
「どっから来たの」
「千葉県です」
「まぁ、そりゃ大変だ。あたしも昔は香取に住んでいたんだよ」
から話が盛り上がっちゃったよ。

故郷なんて考えたこともないし、大体そんなもの無いけど、(距離的に)果ての地まで来て、同郷の人と会うと、やっぱり嬉しいもんなんだね。
結局一時間も話し込んでしまったよ。

バイクを駐輪させてくれた上に商品のアイスをくれたのね。
で、帰りに御代を渡そうとしたら、ガンとして拒否されたよ。
有難うございました!

10時半
次はそこから数分の距離にある「岡田似蔵の墓」だ。

事前に下調べしておいた通り、ヤマダ電機の駐車場まではすぐに来られた。

しかしここからが大変だった。
小さな看板を見落としたばっかりに周りをグルグル。
汗が吹き出て目の前が白くなってくる。

何度も往復しながらやっとの事で人一人が通れる通路を発見!

ここを通って突き当たりを左。
分岐を右に山を登る。
すぐに二又になるので右に登っていく。
20m程登ると雑木林の中を左にカーブするのでそのまま進むと左手に墓が見えてくる

とにかく周りは墓だらけなので、あせらずじっくりと探そう。
あせると余計に見つけ出せないぞ!

それにしてもちょっと扱いが雑過ぎませんかねぇ?

余りの暑さに気を失いそうなったのでヤマダ電機まで戻って涼む。
ありがとうです!今度地元のヤマダ電機で買い物するからさ!

さて、ここから南東に10km程戻った処に「武市半平太(たけちはんぺいた)の旧宅」がある。
市街の脇を抜けて鏡川沿いに東に進む。



11時半
武市半平太旧宅到着。

おおっ!これこれ!
よく目にするカットだ。

鳥追いの炸裂音が半端じゃない音量で響く。
腹にズシン!とくるボリューム。
こりゃ都会の人間はノイローゼになって住めないな・・・・。

ここは現在も居住者がおれらるので勝手に覗き込んだりしちゃいけません!

どうしても入りたい場合は普通にお宅を訪問する手順で伺う事!(常識だね!)

さぁ、ここから7km程西南に向かえば、今回の最大のポイント!桂浜だ!



12時半
桂浜到着

ありゃ?
龍馬記念館と桂浜って場所が違うの?

ここでは数時間居る事を想定しているので、とりあえず荷物を置くために記念館に向かう。

記念館とホテルが隣接している。
とりあえずホテルのレストランに向かう。

「荷物が置けるならここで食事します!」と相手にとっては痛くも痒くもない条件を出してみる。

「フロントでお預かりしますよ!」とあっさり商談成立?

そう言えば今日は朝から何も食べてなかった。
移動時間を考慮するとどうしてもメシは後回しになるな。

って事で、この旅で初めてまともなご飯にありつく。

やっぱ”かつおのタタキご膳”でしょ!

旨いわぁ〜!
1600円也。

窓から展望できる土佐湾浦戸。

結構高台まで登ってきてたんだな。
ってか、ここから桂浜までまた降りることになるのか?

お腹一杯になった処で、記念館から訪ねる。入館料400円。

高知の観光の目玉なんだもの。
さぞかし・・・・・あれ?・・・・えぇ〜・・・・?

余り見るものが無いんですよ。
素通りしたら5分も掛からないくらい出品が少ない。

確かに歴史的重要文化財としての手紙等は見ごたえがあったのね。

特に乙女(さかもととめ)に宛てた内容は興味を惹かれたな。
その文体や字体から龍馬の性格が目に浮かぶようで、きっと普段はムスッとしてるんだろうけど、実はおちゃめで話し始めると止まらない気性なんだろうなぁ・・・・・って感じる。

でもそれだけなの?
県立ってこれでいいのかぁ?

これなら先に行った「龍馬歴史館」の方がよっぽど面白かったぞ!
ってな訳で早々に退散する。

ここから桂浜まで270m降るらしい。
(ってことは帰りは・・・登りなんだよなぁ〜・・)

桂浜に通じる遊歩道を歩く事10分。

その高低差と階段に腿と膝が悲鳴を上げる。

ライダーってさ、革パンに革ブーツに防護ジャケットじゃん?
んで、もう7月下旬じゃん?

地獄だぜぇい!!


ついに登場!
龍馬像です。
これを見たかったのよ!

あれ?後ろ向いてる?
そっか、浜に向かって行き付いた先に居るんだから、竜馬は桂浜を向いているのか。

という訳で前に回ってみる。
高っ!デカっ!

左下の人と比較してもらえればどれだけデカいか!が判ると思うけど、とにかくデカ過ぎて顔が見えないのよ!

像は浜辺にあるものだと思っていたのだが、
ちょっとした丘の上にあって、しかも土地が狭く、後ろに下がって見上げるスペースが無い!

もうこれ以上後ろに下がれないのよね。

像の前の階段を降りると・・・・ついに桂浜に降り立ちましたぁ!

何か巨大な石発見。

あぁ〜!
この光景だよ!
ついにここへ来たんだなぁ〜!と感慨に浸る。(表題の写真)

でも意外に小っちゃいんだね!桂浜って。
ダッシュしたらすぐに端から端まで行けそうだよ。

何か巨大な石発見その2。

バイクまで遊歩道を悲鳴を上げながら歩く。

意に反して記念館があっさりと終わってしまったので、

14時
桂浜出発。

次は27km西にある「武市半平太像」に向かう。
県14を海岸沿いに16km走る。

宇佐町で県47に入って宇佐大橋を渡るとステキなワインディングが11km続く。
広くしっかりと舗装された2車線で高低差が激しく気持ちよく攻め 楽しめる。

おっと!いけない!
峠仕様の装備をしていないんだ!ゆっくり!ゆっくり!

でもたまに現れる前の車がすぐに避けてくれるので、つい加速してしまう。
だめだ!こんな時こそ冷静に、緊急停車可能速度で・・・・・と。

でもこのワインディングはお勧めです!

14時半
武市半平太像到着。

東から来た場合、緑に覆われた山と草原のワインディングロードを走る中で、右手に何やら建物が見えてくる。

その敷地にはゲートがあるのだが、寂れている感じ。
そのまま入ってみると建物の対面にデッカい像見っけ!

どうやらこの建物はドライブインかレストハウスだったようだ。
今は閉鎖されているが、像がこの敷地の中にあるので、開放されているのだろう。

だからここを目指すには像を探すより、草原の中に建物を見つける探し方の方がいいだろう。

像の後ろに周って気づいたが、土佐勤王党の血盟者一覧が石造で彫られて置かれていた。

署名盟約順として武市半平太が最初、坂本龍馬は9番目、中岡慎太郎は17番目であった。

さて、ここから西南へおよそ40km先にある今日の宿泊地、ライダーズイン中土佐に向けて出発。

走り始めてすぐ。
結構な高度まで登っていた事に気づく。
草原の間から垣間見える海岸を見下ろして思わず停車。

こんな色をした海が普通にあるんだ・・・・。

エメラルド・グリーンというのか?
コバルト・ブルーというのか?
引き込まれるような色彩にしばし見惚れて時が経つ。

県23にぶつかるまで県47をそのまま走り、県23を左折。
さらにR56にぶつかるまで県23を走り、R56を左折。


中土佐町に入る直前の県41と合流する地点にコンビニがある。
まだライダーズインまでは12kmあるが、実質ここが最後の買い出し基地と考えていい。
さらにその先の信号にある左手の2つの大型スタンドが最後の給油基地と考えていいだろう。

要は県25に入ってしまうと、店(駄菓子屋さんっぽい小さな店が1軒)やスタンド(上ノ加江トンネルを抜けたT時を県25と反対の方向に300m程海に向かった処に小さな2軒)が閉まっていた場合、ここまで戻る必要があるからだ。
ここで2回目の給油。

県25に入ってそのまま11km直進。
左手に「ライダーズイン」の立て看がある。
完全に農道だ。

「本当かぁ〜!?」って進むこと500m。
かなり不安な道のドンつきにライダーズイン中土佐がある。

ここも農道自体がyahooやmapionなどの地図には載っていないので、ナビで近くまできたら看板を見落とさない事だ。

16時半
ライダーズイン中土佐到着。

この日は平日にも拘わらずほぼ2/3が埋まっている状態。
やはりライダーにとっては聖地なのだろう。

県の事業なのでおそらくどのライダーズインも設備や料金は同じなようだ。
ビールも売ってたし。

早速バイクの洗車をする。
全くありがたい設備だ。

と・こ・ろ・が!
auの電波がない!
ここはauが使えないのよ!
(ドコモはOkらしい)

ともかく荷物を整理してから電波を求めて周囲1km四方を歩いてみる。
断念!

引き返してそのまますぐ裏手にある小矢井賀の浜に出て、浜辺に座りビールを飲みながらボケ〜ッとしていると、同じライダーズインに泊まっている若者が近づいてきて挨拶と共にそのまま海へ。

何で海パンとシュノーケル持ってるんだ?って聞くと、昨年も来て、ここのプライベートビーチ(?)が気に入ったのだそうだ。
(地形的にどう見てもライダーズイン専用ビーチと化している感じ)

プカプカと浮いては潜っている若者を見ているうちに”気持ちよさそ〜”って思ってきちゃったよ。(危険な予感!)

しばらくしてその若者の連れもやって来て普通のパンツとTシャツで海に入っていった。
しかもこちらを向いて「気持ちいいですよ〜!」とか言いやがる!

もうだめだ!どうせこの暑さでパンツはぐっしょりの状態。
そう思うと、おもむろに立ち上がりTシャツとズボンを脱いでパンツ一枚に。そのまま海へ直行!

酔っている事を十分に認識しながらプカリと浮いてみる。
生温い海とはいえ、この状況ではどんなクーラーよりも有難い。
こりゃ気持ちええわい!!

泳ぐと明日動けなくなるかも?
との思いから浜辺の近くをプカプカと・・・・し・あ・わ・せ!

若者は魚を追いかけて夢中の様だが、こちらは30分も浮いていると、それだけで疲れてくる。
「もう上がるわ!ありがとね!」

「またお会いしましょう!」と海の中から手を振っている。
まったく・・・・近頃の若者は・・・・いい奴ばっかじゃん!

明日は足摺岬にある中浜万次郎(なかはままんじろう)像を巡る全行程300km走行を予定している。
念のためにナビを確認。
しかしここでナビがとんでもない事を言い始めた。

ここから足摺岬まで3時間掛かるというのだ!
ウソ?1時間半の予定なんだけど?

改めて調べてみるが、mapfanで想定した時間との差が大きすぎる。
しかし実際に走った事が無いので確認する事も出来ない。

そう言えば、ヤマダ電機で知り合ったおにいさんも、
「そりゃムチャですよ!」と言ってたな。

改めて明日の全ルートをナビで模擬してみる。
走るだけで9時間と出ている。

これもウソっぽい。
足摺岬まで片道3時間だとするなら往復で6時間。梼原(ゆすはら)町往復で3時間。高知市内まで1時間半。
走るだけで11時間を見ておく必要があるハズだもの。

「山の中は道の悪い峠ばっかりですよ!」とも言っていたな。
初日のR493が頭をよぎる。

まして、それが時間に追われ、尚且つ夕暮れになったとしたら・・・・・。

やめた!

足摺岬は断念しよう。悔しいがジョン万は諦めて、時間に余裕を持たせ、気持ち良く生還する事を第一に考えよう。
という訳で、明日の一箇所目は梼原町に決定!

23時
明日のルートをナビにインプットし直す。
起床時間も5時から7時に変更して就寝。

【7月26日(土) 4日目】

6時半
起床。予定していたうちの200kmの行程が無くなったので、その分のんびりとする。

7時半
出発。

梼原町にある「維新の門」まで60kmの行程。
先ず県25をR56まで戻る。R56を左折したらすぐに県41に乗る。

大野見町まで12km走り、県19に入る。
ここで間違えて行き過ぎてしまいUターン。
その時渡った川幅わずか10mの川が四万十川の源流だと判ったのは後の事だ。

ここから県19に入る訳だが、入った途端、や〜な感じがした。

そう言えば、高知県に入ってやたら軽自動車が多い事に気が付いていたのよ。
信号で前に並んだ10台の車が全部軽!なんて見た事ないもの・・・・。

県19を走って、やっと判ったよ・・・・。
R493は余りにもタイトすぎて「まさかここを走る四輪はいないだろう!」って感じだったけど、
県19は軽自動車がやっと1台走れる道幅で、所々に退避スペースがある訳だ。
んで、その退避ですれ違う訳だけど、それでも軽+トラック=ギリギリセーフ!?って道なんだな!これが。

そんな道が15kmも続くのだが、それが普通に生活道路って訳だから、もしここに住んでいたら絶対軽を買うよ。
いや、軽以外買えないよ!うん!

T字のR197を左折する。R197に入ってビックリ!
余りにも整備された道だった・・・・いや普通なんだわ・・・・普通なんだけど、それまでの道が余りにもさ・・・・・。

しばらく気が付かなかったのだが、事前の調べでは、地図上でこのR197は絶対に”酷道”だと思っていたのよ。
つまり「維新の門」や「吉村寅太郎」は山深い峠の藪の中にヒッソリとあると思っていたので、気持ちがものすごく楽になったんだわさ!

維新の門まであと10km近くとなった地点で「吉村寅太郎(よしむらとらたろう)像」の看板見っけ!
思わず停車して思案。

どうせ帰りにまたこの道を通るとは思うのだが、見つけてしまったものを見過ごす必要もあるまい。
という訳で「吉村寅太郎」を先に歴訪する事にした。

8時半
吉村寅太郎像到着。

あれ?
”寅太郎”じゃなくて”虎太郎”って書いてあるぞ?

これは後で調べて判ったのだが、本当は「虎太郎」なのだが、一般的に使われているのは「寅太郎」らしい。
じゃ、”寅太郎”でいいや。

また階段かよ・・・・もうかんべんしてよ・・・・・。

だからデカい!っつーの!
どうしてここの県民はこうデカいのが好きかね・・・・。

こうして写真にするから後から顔が確認できるけど、肉眼だと高すぎて顔が見えないのよね。

デカくて高くて顔が見えない・・・・どの像にも共通してますな・・・・。



もう降りるのも面倒になってきたし・・・・。

セットである生誕地まではここから数分なハズだ。

R439を右折して数分で「吉村寅太郎宅跡」到着。

この左手を登ると邸宅跡になる。

さすがに村庄屋だけの面構えである。

はいはい・・・また階段ですね・・・・・。

しかしここから天誅組の創設者が輩出されるとは誰も思わなかったであろう。

攘夷では一致するものの龍馬とは全く別の思考回路を持ち、結局は過激分子として散っていった生涯は正に当時の志士像そのものであったと考える。

最後まで藩に拘った武市半平太に学びながらも脱藩を決意するまでは上出来だと思うのだが、討幕=斬る・・・を脱し得なかった処が策士に成り得なかった人物なのであろう。

暑い!とにかく暑い!

だからゴミ収集中だろうが休む場所を見つけたらとにかく休憩。

ペットボトルのお茶とタオルは常時携帯必須です!
(タバコと携帯灰皿もね!)


さて「維新の門」に向かいますか。
R197に戻って西に14km走る。

途中、太郎川公園にある「雲の上のホテル」に隣接する「ライダーズイン雲の上」を見てみたかったが、とりあえず通り過ぎる。

9時半
維新の門到着。

ホント!予想に反して綺麗な道沿いにあり、中学校のすぐ近くの小高い丘の上にお城(?)と一緒にあった。

これだけスケジュールを前倒しできているのも、峠を走る恐怖と迷う時間を取られなかった為であろう。

ちょっとゆっくりしていくか!

お城に隣接する形で「維新の門」に出会えた。

例によってバカデカい像が、しかも8体もあるとさすがに迫力ですなぁ・・・。

左から、
前田繁馬(まえだしげま)
那須信吾(なすしんご)
吉村寅太郎
中平龍之助(なかひらりゅうのすけ)

那須信吾は下記の那須俊平(なすしゅんぺい)の養子、つまり親子である。

左から、
沢村惣乃丞(さわむらそうのじょう)
坂本龍馬
那須俊平

那須俊平の何がすごいって、唯一50歳代だよ。

現代でさえ50歳からの立身なんて考えただけで辛いのにやるか?普通。

脱藩を説得して止めさせる年齢・立場だよね。

好きだけど・・・・そんなヤツ。

掛橋和泉(かけはしいずみ)

掛橋和泉だけが何故中央に居るのか?
何故帯刀していないのか?
そして何故手を合わせているのか?
の疑問は、志士脱藩の過程で判る。

脱藩するにはある程度の金銭が必要であり、その工面をしたのが掛橋和泉なのだが、家財を処分した際にバレて自害している。

結果的には脱藩者を救援する側になった訳で、正に勤王志士悲願達成の架け橋となった訳だ。

自害はさぞ無念であったろうし自分も脱藩したかったのだろうと思う。

故に脱藩者の大成を祈りつつ、その裏方としての功績を称えて!・・・・ではないのか?と思うのだ。

尤もこれは推測であり、それこそ「作った人に聞いてみよう!」が一番手っ取り早いのだが、あたしゃジャーナリストじゃないってば!

みんな何を思って、日々何を見つめているんだろうね。



ちょうどお腹も空いていたのでお城に・・・いや、お城風の2階にある喫茶店に入ってみる。

「何にしますか?」
どれどれ・・・ん?・・・当然、脱藩セットでしょう!

お城の天守閣(?)から外に出られたので待っている間に行ってみた。

こりゃ良く見えるわい。

さっき建立趣旨を読んでみたのだが「維新の門」は今日訪れる僅か12年前に全国からの寄付金約一億円で建立されたそうな。

梼原町の皆さんの熱い想いとご尽力に感謝ですな。

なるほど。
こういう事だったのかぁ!・・・って全く解らん。どこが脱藩なのか?
多分おにぎりとお新香なのだろうけど。

さて、休憩もしたところで、高知市内に向かいますか!
明日は一日市街を巡る旅。
その先鋒で「坂本家の墓」を目指す。

10時半
出発!

ナビをセットすると・・・・
わ〜い!R197だぁ〜!

市街地まで約80km。
のんびり走り出す。

途中の山間部でパラッと雨が来たがすぐに止む。
涼しくなるどころか、逆に蒸してきたよ。

R197を45km走るとR56にぶつかる。
左折してR56に入ったら後は35kmひたすら市街へ。

高知市街に近づくと段々混んできた。この旅で初めての渋滞だ。
でも都内の渋滞と渋滞の質が違うので安心よ!
10分もしたら解消。

12時
「坂本家の墓」駐車場到着。

車が2台止められる駐車場が有るには有る。
しかし一通(軽車輌可)と狭路により車での進入は不可と考えた方がいいだろう。
バイクならではだ。

しかしここからが悪かった。
駐車場左手に人一人歩ける通路があるなんて知らないから、いきなり右手に見えた墓群がそうだと思うではないか。

当然、柵を越え山を登って、右の墓群の中へ入っていく。
また悪い事に「坂本家」なる墓もあるものだから、これか?なんて思ってしまう。

10分後、駐車場に戻ってあたりを見回す。
フッと左下を見下ろすと金色の看板が見えた。
今度は柵を越えて降りてみる。
あった。駐車場左手じゃん!

しかしここからがもっと悪かった。

この案内板には「坂本家の墓」との記載がないのだ。
要するに総括した全体を指しているのだろうけど、観光客からすればそんなものはどうでもよくて、坂本家が集合した墓の場所はどこだよ?が判らないのだ。

そして、自分の場合は最悪なのかもしれないけど、そこから300m程奥にある一番遠い「R才谷屋歴代墓所」がそうだと思い込んでしまったのだ。

そりゃ行きますよ・・・・。
造成脇の細い山道を登り、墓群の中を歩き、藪に入り、蜘蛛の巣を払い、野犬に吠えられながら薄暗い山の中を進んで・・・・・さすがにこれは違くね?

元の場所まで戻る。
造成中の作業員が不審な目で見ている。
そりゃそうだろう・・・・頭に蜘蛛の巣と草が刺さった状態のおじさんが山の中の墓から出てきてウロウロしているんだから・・・。

先ほどの案内板をよ〜く見る。
やっぱり書いてないよ。
え〜っ!?どうすんのよ!?

とりあえず一番高い場所まで上がってみて全体を展望しながら休憩としよう。

階段を一番上まで登ると、さっき歩いた墓群が遠くに見える。
あそこっぽいんだけどなぁ・・・・と、足元を見ると、別の金色の看板が。

坂本家墓所

ええ〜っ!!これ〜っ??

納得出来ないまま疲れだけが残る。
偶然見つけたからよいようなものの周りには誰も居ないし聞き様が無いし、全く観光客に優しくないよ!

まぁ・・・何にしても見つけたからよかったけど・・・。

しばし見つめる。

確かに墓石は本物なんだろうけど、どうも違和感がある。

周りの土地や仕切り石などが新しすぎるのだ。

それに後ろの造成地・・・・・。

そういえば出発前の「坂本家の墓」の検索中に2chが引っ掛かったな。
墓を潰す業者とか何とか・・・・。

もしかして移動しているのかもしれない。
本当はやっぱりあの山の奥なのかもしれない。

まぁ、そこまで感じた処で、その辺の詮索は止めておこう。
面倒臭いから。

献花すればよかったな。

次女・お栄と三女・乙女が仲良く眠っている。

5人兄弟の末っ子である竜馬を体を張って鍛え抜いた乙女の愛情に対して、いつも控え目で陰ながら見守っていたお栄。

しかし竜馬脱藩決意の際には才谷屋含め一族が尽く警戒する中、唯一自分の所持する名刀をこっそりと竜馬に譲り渡し、その後に自決するという何とも肝の座った姉であった。

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注:(2024年7月)
当時の写真は資料を加工したものだったので再現不可だった。
よってそのまま掲載すると共に現在の状態を並べてみた。
結局造成の目的はスーパーだったんだねぇ・・・。
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これは帰宅後の事だが、あの造成が気になって調べてみた。

衛星写真で比較してみると、殆どの土地が造成されているのが判る。

おそらくここに眠る殆どの墓が移動になったのだろう。

観光客としては造成の目的に関しては関知しない事にする。

13時半

時間がたっぷりとあるので、出来るだけ市街中心部から離れた順に周ってみる事にする。
先ずは「大川筋武家屋敷資料館

高知城の北側、大川筋町2丁目辺りで迷う。
ところが通りかかる数人に聞いてみるも「知らない」という。
自転車に乗った高校生にも聞いてみるが「聞いたことがない」という。

汗が噴出したまま止まらない。クラクラしてくる。
いや、絶対この辺なハズだ。

出来るだけ古そうなお店を探して聞いてみる。
「あっ、それならこの裏よ」
やった!
歩いて30m程の場所で迷っていたのだ。

展示物が少ない。
あまり面白くない。
早々に退散。

しかし暑い!
ジャケットを着る事とバイクを押す事が苦痛になってきた。
もっと周るつもりだったけど、もうダメだ。
才谷屋跡(コーヒーショップ)に行って休憩しよう。

14時

才谷屋跡到着。

・・・・なんで休みなんだよ。
冷たいアイスコーヒーが・・・・・。



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注:(2024年7月)
喫茶店から学習塾になっているようです。
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「さいたにや」じゃなくて「さいだにや」だったのかぁ!

って、よ〜く見たらイタズラ書きだった・・・。
消せよ・・・・。

市街に入ってからイチサンでの移動が辛くなってきた。
ものの数分で次のポイントまで移動できるのだが、とにかく場所が判らないのでいちいち探さなければならない。
バイクがデカ過ぎるのだ。

だからイチサンで移動するのはもう諦めて、今日泊まるホテルに向かう事にした。

才谷屋から400mと離れていない処にある「オリエントホテル高知」到着。

無理を承知でチェックインを迫る。
ゴニョゴニョと相談をしていたが、Okが出る。

バイクを玄関先に置かせてもらい、チェックイン。

シングルの狭い部屋ながらもベッドがあるよ!
この旅で初めてベッド=布団に寝る。

快適だぁ〜!す〜ず〜し〜ぃ〜!!

汗でグショグショの服を放り投げて、素っ裸でベッドへ倒れこむ。
そのまま30分程死んだように死ぬ。

寒くて目が覚めた。
人間ってなんて贅沢なんでしょうね・・・・・。

まだ時間があるので、今日周れる処は周っておこう。
最小限の手荷物だけを整えてロビーへ。

「自転車貸して下さい」
「全て出払っていますね」
「ゲッ!」

バイクを玄関脇に置くの図。

事前に聞いた「玄関脇に留められます」を前提に宿泊はしているが、「24時間誰かが居ますので心配ないですよ」に安心した訳だ。

15時

しかたなく歩く事にする。
新品のライディング・シューズに足の指先の水脹れが大きくなったので、それを全部潰してバンソコ攻撃。

また史跡巡りには当然と言えば当然である、階段&山歩き責めに腿と膝がパンパンの状態で歩き始める。

まぁ、ジョン万を諦めた時間配分がここまで全く功を奏している。
結論から言うと、足摺岬巡りを実行してたとしても、無謀とまではいかないギリギリセーフ!だったと思う。

現時刻に6時間をプラスしても21時にはホテルに着けた訳だ。
まして明日の予定の市街巡りをカットすれば20時には着けただろう。

しかし一方で、疲労からくる体力の消耗や時間を気にする心の余裕などを考慮すると、決して安全に、しかも楽しんで巡れたか?というと、恐らくNOであろう。
その意味でも、この決断は正解だったと考える。

さて、歩こう。

市街は自分なりに街区を4ブロックに別けてみた。
南北には県庁前通りで、東西には県庁前のR33(R32)でそれぞれ分割する。

今日はその西南に当たるブロック(@)で、市街のメインである龍馬関係を制覇する事にした。

さらにこのブロックはホテルから反時計回りに周ると効率がよさそうだ。

近くのラーメン屋でまず旨くないラーメンを食ってから、「龍馬の生まれたまち記念館」へ。
入館料300円。

撮影が不可な事で写真が無い事もあるが、正直余り印象がない。
何があったっけ?と思い出しても出てこないのだ。
体験コーナーはスイッチを入れても動かなかったし、町の模型や解説など、余り興味を引かなかった。

なんかさ。県立や市立は全滅だな。
全然客を呼び込もうという気迫が感じられないよ。

組織も、もうただのサラリーマン化しているんだろうな。
「もっと動員を!」よりも「その日が終われば」しか見えないもの。

やはり民間施設である「龍馬歴史館」の方がよっぽど熱意を感じたよ。
龍馬が好きで集まってくる全国の観光客が何を求めているのか?をもっと真剣に考えて欲しい。

ここから100m西の通り沿いに「近藤長次郎(こんどうちょうじろう)邸跡」がある。

歩道の左側を見て歩くも無い。
往復してから魚屋のおじさんに聞いてみると隣を指差した。
おっ!道路側かい!
疲れてるな・・・・・。

そっか、石碑ってこんなにもヒッソリとしてるんだ。

Uターンして約200m東に戻ると「龍馬郵便局」がある。

ん〜、車がじゃまだな・・・・退くまで中に入って待とう・・・・って閉まってる!

そっか!今日は土曜日だ!・・・・ってか、郵便局って土曜は休みなんだ・・・・・。

そっちが驚きだったよ・・・・。(違うのか?)

ここから真北に直線で50m。
グルッと回った目抜き通りにある上田病院の敷地内に「坂本龍馬誕生の地」がある。

こんなデッカい看板があるから”上を向いて歩こう!”ですな。

これだけ広い通りでカメラを構えるおじさんはかなり恥ずかしい。
土曜日でよかった。

「直柔(なおなり)」は戸籍上の実名になる。

当時の武士階級は、
・幼少期からの幼名(通称)
・公文書等に使用する実名
の2つを持っていて、「龍馬」は俗称として私文書にも使っていた。

また脱藩時は変名として「才谷梅太郎(さいたにうめたろう)」を名乗っていた。

歩道を挟んだR33側に据えられた休憩用ベンチ。

坂本家の家紋と1865年に高杉晋作から贈られた「スミス&ウェッソン Model 2 Army」が嬉しい。

さて、今度はホテルを越えて、尚且つ、鏡川のほとりまで500m程歩くと「山内容堂(やまうちようどう)」関係に入る。

@ブロックの右下当たりだ。
看板がものすごく小さいから自転車以上に速い乗り物だとまず見落とすな。

歩きだからすぐに判ったのだと思うよ。

先ずは「土佐山内家宝物資料館」から。
山内神社の左手から攻めて行く訳だ。

入館料300円。
ここも撮影禁止なので写真は無いが、山内一族の歴史なので何の興味も無し。

一つだけ面白かった事。
山内一豊(やまうちかつとよ)の次代が容堂のような感覚だが、そもそも一豊は安土桃山時代の武将。

関ヶ原の戦いで徳川家康から土佐20万石を貰った初代土佐藩主な訳で、廃藩寸前の時代の容堂が2代目な訳はないわな!

実は、容堂は14代目で、しかも「容堂」という名前は隠居後の姓名だそうだ。

本当の名前は「山内豊信(とよしげ)」なのだそうだ。
ちょっと知識になったよ。

ま、どっちにしてもこんな備え付けの身分の人間(容堂)に興味ないや。

そもそも何故幕末が好きか?って、それ以前の武勇伝は(藤吉郎の様な一部を除いて)全て身分だの位だのありき!からスタートしている訳で、そうした保証のある人間の言動には興味沸かないのよね。

そんな生まれつきの位のみで生きている人間に半平太のような逸材が死に追い込まれるのだから逃げたくもなるって。

話が逸れてしまったが、神社を抜けて一つ通りを挟んで隣接する三翠園ホテルの敷地の中に「旧山内家下屋敷長屋展示館」がある。

その通りに出た所で何やらお祭りの雰囲気。
警備の人に聞いてみると、来月の9日〜12日に開催される「よさこい祭り」の前哨祭として本番前の雰囲気を高める役割を担う祭りが開かれているそうだ。

なるほど・・・・興味なし。
下屋敷長屋もたいして面白くなかったので早々に退散する。

ホテルを出てからここまで2時間。
なんて健康にいい事をしてるんだろう・・・・・。

17時
ホテル到着。

明日周る予定の1/4ブロックを制覇してしまったので、かなり余裕が出来そうだ。

頭の中で「ライダーズイン奥物部への移動」と今回の予定に入れていなかった「自由民権運動巡り」の選択が出来てきた。
まぁ、明日の成り行き次第で考えよう。

宿泊の関係もあるのでダメならダメでもいいではないか。

(余談)
ホテルの隣の居酒屋で夕食。
・かつおのタタキ*2
・カンパチ刺身
・シマアジ刺身
・日本酒2合
で6千円って高くね?

【7月27日(日) 5日目】

7時
起床。

早々に自転車を予約しに行く。
何だよ?6台もあるじゃん!
昨日は土曜日だったから出払ってたんか?
荷物をフロントに預けて出発。

7時半
先ずは高知城に向かう。

走り始めてものの数分で悟ったよ。
自転車ってスゲ〜!
歩くより断然速いし、歩道でUターンしても急停車しても放置しても怒られないぞ!
地図を確認するのに前かごのバッグを開くだけでOk!
何て便利なんだぁ!これぞ文明の利器だな!
いや、人類最大の発明品だな!

高知城まで自転車だと数分。
風が気持ちいい!
ゆっくりペダルを漕ぐと景色がゆっくりと流れる。

県庁を通り過ぎ、追手門をくぐるといきなり正面に板垣退助が出迎えてくれる。

自転車を門に置いて近づく。
天守閣の開門時間は9時半・・・・・か。
最後にまた周って来るか。

追手門の外、出た左手に「山内一豊像」がある。
威風堂々とはこうした出で立ち(いでたち)を指すんでしょうなぁ。

大橋通りに向かう途中の「ひろめ市場」で土産を選び、そのまま鏡川まで南下すると、手前右手に「後藤象二郎(ごとうしょうじろう)誕生の地」の碑がある。

小さな公園の入り口にひっそりと建っている。
これだもの・・・・・バイクだったらスッと通り過ぎておしまいだよ。

通り沿いの公園前なので大型バイクを止めるのは憚られる。
自転車大正解!!

そこから100m戻った右手に「高野寺」というお寺がある。

その右脇に「板垣退助誕生地」の碑がある。

ちなみにこれが本日行動を共にする相棒の無料レンタル自転車!

このレンタル・システムはどうやらホテルの一存ではなく、市の観光事業によるホテルへの貸し出し品のようである。

そのわずか50m先に「片岡健吉(かたおかけんきち)誕生の地」碑がある。

何か工事中だったが石碑はちゃんと保護されているようで観光客としては安心した。

板垣退助らと共に立志社(りっししゃ)を創設した初代社長であり、後に同志社大学を生む同志社(どうししゃ)社長も務める。

自由民権運動推進の立役者であり、こうした死と裏返しの志を持った諸氏が居なければ、私なぞは未だに平民として地べたを這いつくばっているのかもしれないと思う。

大橋通りまで戻ってR32を渡り、左手100m程進むと片岡健吉も社長を務めた高知新聞社があるが、その裏手「ひろめ市場」近くの四国銀行敷地内に「武市半平太殉職の地」碑がある。

これもかなりひっそりと建っている。

R32に戻って、R32沿いに左手300m程進んだ中央公園内に「立志社跡」がある。

高知県観光協会の「高知中心部MAP」では「公園左下」となっていたがどう探しても「公園右下」になる。
(わざわざ中央公園派出所で聞いちゃったんだからね!)

10時

ここでひとつ決断をする事にした。

この調子で自由民権運動を歴訪するなら「自由民権記念館」はハズせない。

しかしそこまで足を伸ばすと「ホテルに戻って”ライダーズイン奥物部”まで移動する」スケジュールが辛くなる。

だから昨日から悩んでいた結論としては「ライダーズイン奥物部への移動」は諦め「ホテルに連泊してこの歴訪を続ける」だった。

早速ホテルに電話して宿泊が可能か?聞いてみる。
日曜の夜だから?すぐにOkとなった。

次にライダーズインに電話して本日の予約をキャンセルする。
当日なので違約金を覚悟していたが、ライダーズインは当日のキャンセルでも違約金を取らないようだ。

ありがとうです!助かります!
これでここでの滞在が延びたぞ!

だもんで、急にこんな処に寄ってみたりする・・・・。

立志社跡から100mだったし・・・。
今回の旅で数少ない一般観光スポットの一つとなった。

そういや、ここまで散々R33(R32)を通っていながらレールバスの写真を一枚も撮っていない事に気づく。
一枚くらいあってもよかろう。

さて、ここから東に400m程行った「横堀公園」内に「武市半平太邸跡(道場跡)」碑がある。

実際にはここから東に30m先にあったらしいが現在の住宅事情からすると碑そのものを移動してもしかたがないのであろう。



しかし普段は児童が遊んでいるであろう公園の中でおじさんが写真を撮りまくっているのはやっぱヤバイよね。

あの警備員こっち見てるし・・・・。

そこから300m北へ。
江の口川にぶつかる寸前の路地に「中江兆民(なかえちょうみん)誕生地」碑がある。

こんな感じで路地裏にポツネンと・・・・・。



自由民権運動を頭脳で支えた功労者である。
ルソーを引き合いに出して理論を説いた事から「東洋のルソー」と言われた。

志士ではないのだが、龍馬の信念でもある「それぞれの得手を十分に活用せにゃならんぜよ!」を用いるとするならば、自由民権運動という全体目的を遂行する為には是非とも必要な能力だったのであろう。

さて、MAPを見るとJR高知駅内に観光案内所があると書いてある。
行ってみよう。
ここからJR高知駅まで500m程。

駅構内の案内所で聞くと、その関係ではもう他に見る処は無いと言う。
(というかそれ以上知らないと言う・・・・)

「美術館なんて如何ですか?」
なるほど。
どうせ時間あるし、帰りに「自由民権記念館」に寄って、高知城に戻るルートにするか!

県立美術館まで約4km。
歩く速度でゆっくりと自転車を漕ぐ。

高知港に注ぐ国分川に掛かる大津バイパスの「新国分川橋」を渡る。
川風がひんやりと吹き上げて、なんとも気持ちがいい。
橋を渡ってすぐの県44を右折。
そこから300m程で到着。 「熱帯 楽園 浪漫 美術家たちの南洋群島」なる催しを眺める。
イベント見学料350円。

ここまできて、やっぱ気が付いた。
あれ?俺って美術とか全然興味ないジャン!

なんだよ・・・・。
たっぷりと涼んでから出る。

ここからR195を左折してR32に合流後、R56を左折する。
鏡川大橋がちょっとしたブリッジになっていて自転車の辛さを改めて理解した・・・・。
逆に下りを気持ちよく激走してから県34に出て左折。

高知駅からここまでの約10kmだけで、すでにペットボトルを10本消費している。
一本を一気に飲んで次の販売機までもう一本を予備に抱えて。

なのにここまで全く尿意が無い。
首に巻いたタオルが絞れる訳だな。

自由民権記念館到着。

なんか立派な作りだぞ。
中に入るとヒンヤリとして気持ちがいい。
でも客は他に誰も居ない。
今日は日曜日だぞ!?
入館料320円。

「撮影は禁止ですか?」
「こ〜んなして近づかなければ大丈夫です」
「・・・・微妙・・・・・」
「まぁ、程ほどという事で」
要するに・・・撮っていいって事だな。

板垣退助殺害の凶器。
さすがに本物に接すると厳かな気持ちになるよ。

廃藩天皇制によって、武士と平民という格差は無くなったものの、逆に差別という形で根の深い問題が起きた。

しかし平民から見た非人などという差別はそれ以上の醜さだったという。

明治も半ばになってやっと平民層が立ち上がれる機運が高まってきた訳だ。
やっとだよ。

それでも国民主権という発想はまだ一部の識者しか持ってなかった訳だ。

13時

自由民権記念館から約3kmで高知城に戻る。

追手門から板垣退助像脇の階段を登って三ノ丸跡に向かう左手に石樋(いしどい)という石造りの樋がある。

本丸から二ノ丸、三ノ丸と排水された雨水が石垣に当たらないように長い樋を作っているのだ。

これだけはっきりと突き出した樋は珍しいらしい。

二ノ丸、本丸と登っていく。
もうクラクラだ・・・・・。

やっと本丸から天守閣への入り口。
入場料400円。

当然の事ながら城内に電気配線は無かった訳で。
今どきのデジカメは勝手に自動補正してくれちゃうから、肉眼で見えるこの明るさを出すのに苦労したよ。
オートで手軽なカメラは手動設定にすると難しいわい・・・。

天守から県庁方面へ城下を望む。
そりゃ、さぞかし気持ちのよかった事だろうて・・・。



あっ、さっき登ってきた階段だ。
人間いつの時代でも高層階に憧れるんですかねぇ・・・。

上がる時も驚いたけど、降りる時には恐怖を覚えたよ。
なんだ!この階段は!

城中、絶対にドリフのコント騒ぎがあったハズだよな・・・。
(現代は建築基準法があってよかった・・・)

これは「物見窓」であって「鉄砲狭間(てっぽうはざま)」ではない。

なんとも不思議な空間ではあるが、より実戦向きに考案された窓だそうな。
しかも高知城独自だというから驚く。



「懐徳館(かいとくかん)」は城内の御殿の一つで住居ではなく対面所らしい。

江戸時代末期の学問所である「懐徳堂(かいとくどう)」とは全く別物だ。

高知城の西側に「植木枝盛(うえきえもり)旧邸」がある。

やはり立志社の頭脳担当で、自由党案としての「東洋大日本国国憲按(こくけんあん)」を起草した人物だ。

今はただ、ひっそりと佇むのみだ。

植木枝盛旧邸から南へ自転車で5分で大膳町の第四小学校前に「婦人参政権誕祥之地」碑がある。

いわゆる「民権ばあさん」と言われる楠瀬喜多(くすのせきた)を主宰とした男女同権運動を展開した地としての碑である。
(記念館で喜多ばあさんの写真を見たが優しい顔をしちょった)

女性参政権運動が自由民権運動と融合して、やがては大正デモクラシーへと発展していく訳だが、その先駆となったこの人物への当時の風当たりは相当なものだったに違いない。

15時
ホテル到着。

いい加減、資料の整理をしないと記憶から落ちていく。
というより8時間自転車で移動してると・・・・ヘロヘロになるんだな・・・・・これが・・・・。

旅の計画での最優先事項! => 肉体的疲労を補う時間を考慮すべし!・・・・を悟る。
・・・・・という訳で、今日の夕刻以降は休憩タイムとし、資料を纏める時間とした。

あっ!いけね!あそこへのお土産忘れた!
あっ!ここもだ!
ってな訳で、再び自転車を借りて、はりまや橋まで爆走したりもしたが・・・。

明日はいよいよ岐路へつく。
朝が早いので、今日纏められるだけまとめておくか。

【7月28日(月)6日目】

6時
起床。

荷物を纏めてバイクに積む。
この1日半、丸々駐輪したままだった。

アラームを調べると2回作動している。
ホテルに確認すると2回ともチェックしていた。

1回目は屋上ビアホールの集団客が出入りした時、
2回目は親子連れの子供が触った時だそうだ。
いずれも駆けつけて見ていてくれたとの事。

安心できるぞ!オリエントホテル高知!

7時
出発。

ガソリンが空のままだったので、高知駅近くで3回目の給油。

高知ICから今回初めての高速に乗る。
どっちに行けばいいんだ?ナビが小さくて判らなかったので焦る。
一方が「土佐」と書いてあったので、その反対に行ってみる。
正解だったようだ。ホッとする。

ガラガラの高速を80km/hで走行する。
170km先の徳島を目指が、先ずは愛媛県の端の川之江東JCTまでの65kmを走破する。

ここで高知自動車道から徳島自動車道へと入るのだが、ここからは対面二車線。
やなんだなぁ・・・・これが。先頭になりたくないのよね。

ずっと80km/hで走っていたいのに、すぐ後ろに付くんだもの。
しかたなく数キロごとにある追い越し2車線が現れるまで100km/hで走る。
その繰り返し。しかもそれが105km続くんだもの。

途中の吉野川SAで簡単な朝食を摂る。

誰かが言っていた「トンネルばっかりのイメージ」の意味がよく判ったよ。
本当に高速道路はトンネルばかりだ。
この旅では海岸線沿いか山の中ばっかりを走っていたからね。

高速を降りて右折。
来たときは左折したから、反対側から向かっている訳だな。

おっ!デカい荷物を積んだスペーシー125見っけ!
信号で止まって驚いた。「杉並区」ナンバーだよ!

9時半
徳島港到着。

杉並ナンバーの若者にコーヒーを渡しながら「根性だね!」と話しかける。
普段は250に乗っているのだが、一度この通勤スクーターで旅をしてみたかったとの事。
下道のみで松山まで行ったというから関心しきり。(往復で約400km)
「疲れました。もう2度としません!」と明るく笑う若者に好感が持てる。

そうかと思えばエイプ100で10日間周ったというツワモノのおじさんまで居た。

なんか・・・・このニッポンって、思ったよりアクティブな人間がいるものだな・・・・。

ちょうど北九州からの船が到着した。

乗船は11時からだから、ちょっと仮眠を取る。

11時半
徳島港離岸。

ここで驚いた!
現在の操舵技術はスゴイ!って事。

L字の岸壁に鼻先を入れているから前進出来ない状態。
何しろ10cm単位で位置が決まっている(じゃないと乗船ゲートから乗れないよ!)ので、ギリギリに停船している訳だ。
(左側が接岸している状態)

じゃ、どうやって出航するか?というと・・・・。

@左前後4本で係留されているロープのうち、後ろ一本を残して3本を外す。
Aペラ(スクリュー)は合計三個。メイン・ペラが後ろに一個、船首の左右に一個づつなのだが、その左ペラだけで船首を離岸させる。
B後ろ一本のロープが繋がったままだから、そこを軸に45度右に振れた処で停船。
C最後のロープを外して、メイン・ペラでそのまま200m前進。この時通過する左側面と岸壁の距離はたった数メートル。
D停船後、面舵(おもかじ)一杯の状態で、メイン・ペラと左ペラで旋回を始める。左ペラによって全体が右に流れないように面舵で調整しながら、尚且つ前進しない程度にメイン・ペラを回す事によって後部が右に流れるのを防ぐ訳だ。
E全長166mのほぼ中心を軸として残りの135度を旋回する。
F180度旋回したら停船。メイン・ペラで出航!となる。

どう?鳥肌モンじゃない?
しばらく感動に浸っていましたよ。

余りに感動したのでそれをクルーに伝えると、嬉しそうに正確な操舵方法の講義をしてくれましたよ!・・・・たっぷり時間ある訳だしさ・・・・。

さようなら四国。
ありがとう高知県。

一生の思い出をありがとう!

例によってまた16時間(帰りは潮の関係で2時間早い!)やる事が無いので、一番上のデッキに座って、今回の資料の纏めの続きを行う。

しかし今日はなんだか揺れる。
波が高いようだ。と思ったら潮岬あたりでものすごい雨と風と雷に遭遇。
それでもこの大型フェリーはゆっくりと揺れるだけなので恐怖はない。

しかし下を向くと酔ってくるので、レポートはやめて寝る事にした。
ベッドに寝転がって「竜馬がゆく」を読みながら、ゆったりと時間を過ごす。

【7月29日(火) 7日目】

4時
起床。

空がだんだん明るくなってくる。
船上で朝を迎えるのってとっても贅沢な気分!

5時半
有明港着岸。

岐路へ。

7時
最後の給油を地元で行い無事帰宅!

こうして6泊7日(船中2泊)の旅が終わりました。
この旅を十分に満喫出来たのも、家族が気持ちよく送り出してくれた事はもちろんですが、いちさん倶楽部の皆さんとMLを携帯でやり取りできたから。
あかさかさんに「(人が仕事してる時にツーリングしてるヤツなんか)きらいです」とか言われながら!(^_^;「気をつけて!」と励まされたり・・・日々楽しめました。

また、無事に帰ってこられたのは、ひとえに家族に普通に会いたいから、そして普通に土産話しを聞いてもらいたいから。

疲れました。
もっと体力はあると思っていたのですが、やっぱり年齢と友達になるより他に手は無いようです。

このHPを書き上げたのは旅が終わってから6日後。
毎日ルートや史実を確認しながら(594枚の写真から厳選しながら!)書き進めていくと、その時その時の情景が蘇り、それだけで幸せになります。

今回は走り込むツーリングではありませんでしたが、それでも十分すぎるくらいにバイクと共に過ごしました。
改めて自分の命を乗せて走ってくれたバイクに感謝です!

そして旅先の地元の人達、旅中の人達、いちさん倶楽部の皆さん、そして家族に感謝です!

また、計画したいなぁ〜!

最後に、結局走ったルートはこうなりました。
★★★ワンポイント・アドバイス★★★
もし高知市街を周る時は、事前に「高知県庁観光部」或いは「高知市観光協会」に連絡をして「高知中心部MAP(印刷物)」を送ってもらうとよいですよ。
市街地の歴訪ポイントが載っているので、歴訪順を書き込んでから観光に望むと便利です。

また、夏場は大変暑く、ペットボトルだけで1万円近くの出費がありました。(合計で60本以上飲みましたよ!)
予算組の時は気をつけましょう!


総走行距離:761.7km
燃料消費量:54.76L
燃料消費率:13.91km/L

食費を除いた費用
長距離フェリー往復45,880円
ライダーズイン2泊6,900円
ビジネスホテル2泊11,000円
入館料3,720円
ガソリン代8,086円
高速代3,800円
合計79,386円


おしまい!